病気の症状の、経過と内容
普通、症状の内容によって病気の名前をつけていることが多い
たとえば
鼻水、くしゃみ、鼻づまりは、アレルギー性鼻炎とか
しかし、症状の内容は、病理の場所を示していることが多いが
そこで何が起こっているのかは正確にはわからないことが多い
たとえば咳が止まらない場合、
急性上気道炎、慢性気管支炎、結核、各種肺がん、ある種の薬の副作用など
考えられるのだが、共通点は、病気の場所である
それが急性の炎症なのか、亜急性の変性なのか、がんなのか、生まれつきの変形なのか、自己免疫性のものなのか、それが病理の本質だと思うが、
それはむしろ病気の経過に現れている
手指先の感覚がなくなったという場合にも、
急性か、亜急性か、慢性かによって、脳血管性、感染性、変性、萎縮など、それぞれの病理が考えられる
精神的な病気の場合、
脳の極めて一部に起こる場合には、
症状もきわめて少ない種類のものが起こり、
場所の病理として指定することができる
しかし統合失調症や気分障害、不安性障害の場合には、症状としては重なる部分が多い
だから、病気の部位も類似しているのだろうと思われる
むしろ特徴を表しているのは、時間経過である
長期崩壊性のものを統合失調症
循環性のものを気分障害
環境依存的なものを不安性障害
というように大きく区別できるのである
ところがSDMシステムではおおむね1週間程度の経過を参考にして
主に現在の症状で診断しようと言うのだから
原理的に言って、病理の場所の探求しかできない
前頭葉だろうとか、海馬だろうとか
しかしそれは病気の本質を言い当ててはいないし、治療の指針を与えてくれるものでもないのであって
それはむしろ、病気の経過が示しているのだと考えられる
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従来、症状の内容と形式として論じられ
やや哲学的な議論になり、
つまり、内容はいま眼の前にある症状であり、
形式はそれを概念化する、最近の言葉で言えば、メタ化する事によって
カテゴライズされるものだった
症状の形式が問題であり本質だというのは
説得力があったけれども
アメリカの学者はそんなものは分かりにくいし
恣意的であるとして排除した
もっと客観的に判定できるもので構成しようとした
それは間違っていないが限界がある
場所を指定するだけだからである
そこでもっと時間経過の病理学を採用すべきであったと思う
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