人間の原罪と神の沈黙は対応している

原罪という言葉がありますが
これにまつわるあれこれを考えてみましょう

もともと人間が原始状態で
自然の脅威に触れ、たいていそれは自然災害なのですが、
また一方では、途方もない豊作や豊漁に恵まれたり、
あるいは流行病で大量に死んだり、あるいは子供にたくさん恵まれたり、
幸福も不幸も、人間の力の及ばないところで支配されているような感覚を自然に持ち
その究極の力の源泉を神と呼んだりするわけです

当然ですが、その超越的な神は、全能であり、
人間のすべてを見通していますから、
人間が良いことをすれば良い報いを、悪いことをすれば悪い報いを与えます
ここから倫理の感覚が生じ、倫理的に良いことは、神によって報われると考えます

しかし現実の人生の中で、報われなさを嘆く場面がたくさんあります
良いことをしても、神はそれを無視するように、全く報われない
また悪いことをしている人がいても、神はそれを罰しない
神は沈黙しているのです

典型的で激しい形はヨブ記に描かれています

どうもこの世界は、因果応報で進行しているのではないようだと考えるようになります
罪もない赤ん坊が伝染病ですぐに死んでしまったりする
なぜなのか

これは神が存在しないからでもなく、神がこの世界に無関心だからでもない、
人間というものは、最初からどうしようもなく、罪人だったのだ、だから
どうしようもないくらい、悪い報いを甘んじて受けるしかないということになります

つまり、神が沈黙しているのは
人間の原罪の故です

少しくらい良いことをしたからといって、人間の原罪は消えることがないのです
だから神に良い報いを求めても無駄なことです
むしろ、つらい仕打ちをされて当たり前であり、それにじっと耐えることが人生なのです

その果てに、神が、原罪の重さを軽くしてやろうと思うなら、天国にも行けるかもしれません

その後、イエス・キリストが現れ、
人間の原罪を引き受けてくれるということになりました
人間は罪から開放され、救済される可能性が出てきました
終末が訪れたときに、救済される可能性が出てきたのです
イエス・キリストを聖書のとおりに信じる人にとってみれば、
最終的な救済が完成するためには、終末が訪れなくてはなりません
そして、世界は、この自分たちを何度も抹殺するに充分なだけの核兵器や毒物を蓄えているのですから、
いままさに終末にふさわしい時ではありませんか

このように考えた経過をまとめると、神という超越的観念を完成させた時に、
全知全能の神がなぜ、一見不公平に見えるのかという問題にぶつかります
善行が報われないのはなぜかと問いかけることになります
その答えが、人間は原罪を背負っているからだということになります

原罪は重すぎるので、償う方法はないのですが、イエス・キリストが登場して、
すべての人間は無条件に救済されるという、大変よい提案をされたのです
それを受け入れれば、神は沈黙したままではないのだし、神は人間を愛しているのだと信じられます

一方、イエス・キリストを信じないなら、
原罪は原罪のままで、救済はなく、神の意志は存在するものの、
原罪を帳消しにするほどの救済は実現されません
結果として、神は沈黙のままで、いつまでも人間の信仰を試すことになります
じっと耐えたとしても、人間は原罪の故に、不幸になるしか道はないのです

ヨブ記に見るように、それは因果応報の世界ではありません
人間の側でどんなに努力しても、原罪は重すぎるのです
生まれたばかりの赤ん坊でも同じです
この世に生まれたからには、すでに現在を背負っているのです

ただ赦してもらうしかありません
だから、神が沈黙を続けたからといって、人間の側には、神を咎め立てする権利などないわけです

神が沈黙しているのは、
沈黙するしかないほど、人間の原罪は重いからです

それはそうでしょう、神の立場からすれば、無原則に許すわけにはいかない、
全部を赦したら、好き勝手をするだけの世界になってしまう
しかし赦すには原罪はあまりに重い

まあ、そんなわけで、クリスマスがまたやってきます

原罪の中身とはなんであるかと考えるが
簡単に言うと、人間は、生き延びるために、歴史のどの部分でも、殺し合いをしてきたし、
騙してきたし、裏切ってきた
生き延びているのが、罪を犯した証拠であるとも言えるでしょう
先祖が悔い改めなかったのですから、子孫である我々が、神に謝罪するしかないでしょう

古代遺跡で見つかる人間の骨は
誰かに殴られるとか刺されるとか、武器で攻撃された跡が見つかることも少なくないようです
教科書に書かれている歴史は
戦争という殺し合いと交渉という裏切りの歴史です

人間になる前から、そして人間になってからもますます、現在に至るまで、
神はおそらく、この世を作ったことを後悔しているのでしょう
だからといって全てを壊さないでいてくれた、せめて沈黙を守って我慢していてくれた