毎年9月11日と12日はぼたもち供養が行われ、ごまのぼたもちの振る舞いを受けることができます。

常栄寺(ぼたもち寺)
ちょっと変わった名前で呼ばれているこのお寺。日蓮が処刑されるまえに、最後の供養にと胡麻のぼたもちを捧げた尼がいました。不思議な力のお陰で、日蓮の処刑はなくなり、佐渡への流刑にとどまります。このことから「首つなぎのぼたもち」と呼ばれ、この奇跡は信心の力だとして尼が住んでいた場所にこのお寺を建てたそうです。
実にユニークなエピソードです。毎年9月11日と12日はぼたもち供養が行われ、ごまのぼたもちの振る舞いを受けることができます。信心深い尼さんの、深いお気持ちを感じることが出来る場所です。 
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法華経を唯一の教典とした日蓮上人は、浄土宗などの他宗を非難したため、幾多の迫害に遭いました。極めつけは1271年の龍の口法難です。幕府の武士数百人と日蓮上人と敵対する人々が日蓮上人をとらえ、腰越龍の口の刑場で処刑するという事態に陥ります。
引き回しの途中、常栄寺がある場所に住んでいた桟敷(さじき)の尼が最後のご供養にと胡麻のぼたもちを捧げました。結局日蓮上人は刑場へと連れて行かれましたが、死刑執行間際に突然光が飛び交い、荒しとともに武士の刀は折れ処刑は中止されたという伝説があります。
この奇跡はぼたもちに現された信心の力でもあるということで、常栄寺が建てられました。700年経った現在でも法難のあった9月12日には御法難会(ごほうなんえ)が行われ、常栄寺より片瀬龍口寺の祖師像に胡麻の餅が供えられます。
この桟敷の尼は、将軍宗尊親王の近臣、印東次郎左衛門尉祐信の妻で、夫婦とも日蓮上人に帰依入道していたそうです。桟敷の尼は88歳まで長生きし、逝去。法名を妙常日栄といい、常栄寺の名はここからとられました。夫婦の墓はいまでも境内にあり桟敷大明神として勧請されています。尼がぼたもちをささげた際に使用された木鉢がいまも常栄寺に保管されています。