世界は分岐するが我々は一つの世界を生きる

たとえば、私は夕食の時に
どの皿のどの料理を食べるのか
自由意志で決められる
(そう錯覚している)

あなたも自分の自由意志で
どの料理を食べるのか決められる
(そう錯覚している)

錯覚の部分はまたあとの議論として、
自由意志で決められるというところだけを取り出すと、
一瞬先の未来は、その選択肢の分だけ、分岐しているように思われる。
分岐しているそれぞれが現実に存在していて、確率的に存在していると考えるのが
ひとつの有力説である。
つまり、世界は、量子力学の数式でいう確率にしたがって、分岐して確率的に存在しているのである。

さて、私がどれかを食べ、
あなたがどれかを食べて、
分岐した世界のどの枝に進んだか、明白になる
その枝の中では世界は一つしかない。
それが大問題である。
つまり、私が何かを決定することが、
あなたの未来を大きく変えてしまう事になるのである。

たとえば、私が目の前を飛んでいる蚊を両手で叩いたとして、
それで蚊が死ぬ場合と、死なない場合がある。
死なない場合、その蚊は飛んでいってあなたを刺して、あなたは感染症で病気になるかもしれない。
これが分かりやすい因果関係であるが、
人間の理性には分かりにくい因果関係もある。
世界の分岐を考えると、どの世界に進むのかを、各自が選択していて、
その総和として、未来の世界が確定する。
分かりやすい因果関係と分かりにくい因果関係がある。
例えば、甲子園で応援する人々は一体何をしているのだろうか。
単に心理的に興奮しているだけなのだろうか。
それとも祈りには意味があるのだろうか。

祈りとは、世界がどの方向に向かうかの選択について、強く意識することである。
合理的に因果関係はわからない。
ただ脳には祈りの回路が確実にある。
無駄についているのか、感情の「おまけ」なのか、それとも本質的に祈りは世界を選択しているのか。

ーーー
この話で言えば、
「動くもの」だけが世界の選択に関わりそうであるが
そんなはずはないのであって
まったく動かないものも
世界の選択に関わりあっていても不思議はないと思う
動かないということで関わり合っているのかもしれない

ーーー
極端に言うと、私が人差し指を右に向けるか、左に向けるかで、
どこかの国のミサイルが発射されても、確率としてはゼロではないはずである。
複雑過ぎる因果関係で
人間の脳には理解できない。

ーーー
無限の濃度の問題もある

タイトルとURLをコピーしました