放射能問題

放射能について
放射能、放射線、核物質、核分裂、核融合、核爆弾、核エネルギー、原子力発電、
いろいろな言葉があるのだがとりあえず放射能という言葉を使う

人類はいまだ放射能の取り扱いについて充分な知識と技術を手にしていない
燃やしたり爆発させたりすることは出来るが、その後の処理ができない

また、放射能にまつわることに関しての倫理感情が充分に発達していない
この状況では、自己の利益のために人類全体に不利益なこともしてしまう人が出てきてしまう
後は野となれ山となれと思っている人がいる

科学も倫理も発達していないのだから放射能の使用についてはしばらくは控えるというのが
賢い選択である

実際には、控えろという命令が、先端知識を独占する形のアメリカから出るというのが
困ったところだ
発展途上国はそのことを問題にして反撃する

アメリカが核実験禁止を呼びかけているのは、
アメリカにはもう充分にデータの蓄積があり、実際に核実験をしなくても、
コンピュータでシュミレーションができるから問題ないのであり、
そういう国はアメリカだけだから、核実験を禁止してしまえば、アメリカだけが新しい核兵器の開発を
コンピュータの中で進めることができる、そして実質的に他国の開発速度を抑制できるという話であると
十年くらい前の解説で読んだ覚えがある。

だから、日本が言い出せばとても良いと思う
被爆国である、しかも3.11ではチェルノブイリ以来の大事故を経験し、後始末が出来ない
そんな国の国民から、世界に向けて、
放射能は人間にはコントロール出来ない領域である、科学の点でも倫理の点でも。
だから当分使用を控えようと提案する
アメリカの先進知識独占の意図とは違うところからの提案なのだと分かってもらえたら
説得力があるのではないかと思う

ーー
化学兵器の問題とか、この先の細胞工学の問題とか、生殖医療の問題とか、
科学的知識としても完全ではなく、人間の倫理感情としても未成熟な部分に、どのように対処してゆくか
いつものように、穏健な人たちが反対しても、マッドなサイエンティストが突進して世界を変えてしまうという構図で良いのか
人間はもっと賢くなることは出来ないのか

ーー
原子力発電所を海外に売り込むことはどうだろう
日本が売らなければ、韓国とかロシアなどから買うだろうから
議論には意味が無いというかもしれない

しかし日本が積極的に売っていいものなのだろうか
むしろ危険性に関しての情報をしっかりとまとめて共有することが大切ではないか

確かに東芝は儲かるかもしれない
しかしどうなのだろう、事故が起こった時、東芝は損害賠償を求められたりしないだろうか
契約としてはそれをブロックすることはできるだろうが
人間の感情はブロックできない
そのとき、東芝職員は倫理的呵責に耐えることができるのだろうか

あるいは、原子力発電所を各所に建設することで、結果として原爆の拡散につながるのではないかという危惧を
多くの人が抱いている
原子力発電所はテロリストの標的になるだろうし、関連施設として原子爆弾の製造工場ができるのかもしれない
我々老人は数十年のうちには死んでしまうから関係ないとしても
そんな未来を残していいものだろうか

ーーー
安全だ、問題ないと言いながら、東京都に原発は作らず、遠く貧しい地域から送電している。
処理施設も六ケ所など貧しい地域においている。

このようなことを、日本国民は、鋭い痛みを感じながら、しかし実行しているのだろうか
あるいは全く鈍感に実行しているのだろうか

鈍感であるとしたら、それでいいものだろうか
全員が敏感である必要もないだろうが、一部の敏感な人達の声は正当に取り上げられるべきだし
政党や公務員は情報に接する機会がある分だけ、敏感になって当然だと思う

東電とか東芝とかの経営陣はやはりれぞれの問題に関して、人類の未来に敏感であって欲しい
人類全体としてはまだ到達していない科学知識と倫理感情であるが、
これらの会社の経営陣には、ぜひ到達して欲しい
そして鋭い痛みを感じながら、決定を下して欲しい

ーーー
この痛みはつまり、他者に対する想像力の問題だ
未来の人類についての想像的共感力の問題だ

他人の痛みが分かる人とそうでない人との間にどんな違いがあるのか、まだはっきり分かっているわけではないが
危ない技術の取り扱いの決定についてはやはり他人の痛みが分かる人にやってもらいたいと思う

みんな自分の人生を生きるのに必死だということは分かる
しかし中には他人の痛みを鋭く感じることの出来る人がいるものだと思う
そのような人を人類の大切な資産として活かしたいものだ

技術を開発する人に必要なものと
技術をコントロールする人に必要な資質とはやはり違うものだと思う

果たして東電や東芝の経営者はどんな資質を評価されて責任者になっているものか
自問してほしいものだ