愛がある人生が、やっぱりいい

1.「人見知りなんです…」とオープンに公言する
 人見知りを隠してビクビク人と話していると、
 「やる気ないなぁ…」 by 友だち
 「ノリわるぅ」 by 仲良くなりたいあの異性
 「失礼なやつだ…」 by えらいオジサン
 「スカした野郎だ」 by 同僚
 という、恐ろしい誤解をうけるリスクがある!
 これをさけるには、会話のいちばん始めに次のセリフを言ってしまおう。
 「すいません、人見知りなんです。」
 こうすれば、あなたに悪気がないことが相手に伝わるだろう(さらに笑える人見知り失敗談を話すともっといいかもしれない)。あとは、じっくり時間をかけて、自然に心が開けるまで。
2.「何を話せば響くか」をオープンにしておく
 私は「何を話していいのかわからない」ヤツだった。
 だれかがイチかバチかで話しかけてくれても、「あ…うん…」で終わって冷や汗が死ぬほどでるとうい悲しい結果になってしまう。
 「ブラックボックスな人」だったといえるだろう。
 いっぽうで、「何を話せば響くかわかる人」は、気楽に話しかけられる。
 お料理、子供のこと、ゴルフ、ファッション、AKB48、スマートフォンのアプリ、原発情報、おいしいレストラン、ゴシップ、マクドナルドの新しいバーガー、テレビ、サッカー、K-POPなどなど。
 どこにリクエストすればいい応答が返ってくるかわかっている人は、会話がつづく。
 そして、本人もラク。
 「これが好き(API)」は、それとなくオープン化しよう。
 ただしそれは、みんなが知っていてわかりやすいものでないといけない。かなしいことに細分化されすぎたニーズのないAPIはだれも使ってくれない。
3.ガードをさげて、来るものを拒まず、になる
 人見知りだと、知らず知らずのうちに警戒心がかきたてられ、
 「ここからは近寄ってこないでください!」
 とファイティングポーズを取っていることがある。
 「はいはーい、どうぞお入りください」
 と常にガードをさげておくのが大事だ。
 ガードとは、何か?
 ガードとは、「ちょっと過剰ぎみな自意識」だ(汗)。
 自意識過剰になっていると、顔はキンチョー感にあふれ、目は泳ぎ、行動はキョドりはじめ、近寄りがたいオーラがでてしまう。
 考えて見れば、この現代社会の日本に「敵」はいない。
 会社も学校も、たいていの人は善人で、ちょっと不器用かもしれないけど、私を刀で斬りつけようだなんて思ってはいない。
 もう自意識はオフって、まな板の上の鯉のように、身を任せよう。
4.リアクションをオープン化
 昔、ネコを飼っていたときに学んだことがある。
 彼女は、いつも朝起きると決まったパターンでかりかりとキャットフードをたべて、同じ場所にいすわり、うれしいことがあると「ニャ~ン」とゴロゴロお腹を鳴らし、イヤなことがあると「ニャーン!!」といって逃げる。
 実にわかりやすい。愛らしい。
 いっぽうで私は、「感情を悟られたくない」とひた隠し、「人の目が気になる」といってポーカーフェイスをして、単純なヤツと思われないために、不規則な行動を心がけた。
 実にわかりにくい。得体がしれない。
 わかりやすい人と、わかりにくい人がいたら、だれでも、わかりやすい人と付き合いたいものだ。これからは、ヘコんだ気持ちや、めっちゃ笑いたい気持ちは、キャラクター云々にかかわらず、超ヤケクソで外にそのまま出してしまおう。Live & Direct!
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不完全だから、オープン化
 やぶれかぶれのオープン化を進めるなかで「私は人見知りです、ということを忘れられる瞬間」を体験しよう。
 不完全だからオープンにしてしまう、つなげてしまう。
 対話のあるところに、愛が生まれる。
 対話のないところに、愛はない。
 愛がある人生が、やっぱりいい。