“アメリカ人を見ていると「ああ、この人たちにとって言葉で表現できない(=認識できない)ということは、存在しないということなんだな」と感じることが多い。彼らの意識と無意識の間には鉄製の壁がある。いや鉛でできているといった方が適切か。私のはせいぜい紙製の仕切りだ。日本人にはそういう人が多いのではないか。
アメリカ人以外の欧米人がどうなのかよくわからない。彼らの意識と無意識の間の壁は紙よりは丈夫だが金属よりは融通が利きそうな石造りの壁だろうか。しかし、西欧の個人主義を支える自我の確立というのは、無意識と意識の間にかなり頑丈な壁がないと成立しないのではないかと思う。”