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そもそもなぜAIは人間の敵になるのか、ということからまず考えてみたい。思うに、人間自体が殺し合っている存在で、とりわけ自分よりも知的に劣った存在には容赦ない、という事実が、AI脅威論者の不安の根源なのではないか。歴史的に、人間は自分よりも知的に劣った存在を殺し、食らい、時には絶滅させてきた存在である。その親から生まれた子(AI)も、またそのような血塗られた本性を持っていてもおかしくはない。人間の知性がその程度のレベルなのであれば、それをトレースした映し身も、その程度に野蛮なのだろう。
そもそもなぜAIは人間の敵になるのか、ということからまず考えてみたい。思うに、人間自体が殺し合っている存在で、とりわけ自分よりも知的に劣った存在には容赦ない、という事実が、AI脅威論者の不安の根源なのではないか。歴史的に、人間は自分よりも知的に劣った存在を殺し、食らい、時には絶滅させてきた存在である。その親から生まれた子(AI)も、またそのような血塗られた本性を持っていてもおかしくはない。人間の知性がその程度のレベルなのであれば、それをトレースした映し身も、その程度に野蛮なのだろう。
だがちょっとまってほしい。ここにこそ、AIに対して知的に劣ることが宿命づけられている人間の対抗手段があるのではないか。すなわち、人間自体が、その基本的な行動様式として「知的に劣った存在に対しても権利を認める」という価値観のパッケージを持てば、それをトレースするAIも、人間に対して「ちっ、下等種族め……」などと舌打ちせずに、人間を愛護の対象としてくれるのではないだろうか。上田「私の恋人」という小説では、反捕鯨運動に熱心な女性が、動物愛護活動をする理由についてこう語っている。人間は、人間以外にも共感できるようにならなければならない、そしてその共感の対象をもっともっと広げていき、自分たちよりはるかに劣る存在に対してすら権利を認めるべきだ、なぜなら、そうした倫理こそが、人間が自分たちよりも優れた存在であるAIに引継いでいくべき資質であり、人間にとって唯一の武器になるのだ、と(意訳)。……まさかの倫理ですよ。これしか勝ち筋ないのかよ。まあ、しかたないよな、だって知性で勝てないわけだし。人間側の救世主が動物愛護団体になるとは、いったい誰が想像しえただろうか。
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