山月記に描かれているエリートのチャレンジは
もっと褒められていいことだし
彼自身も悩まず
生まれ変わったら今度の別の選択をしてみるかとか
生まれ変わったら今度は同じ路線でもっとうまくやってみようとか
前向きに考えたほうがいい
レールを外れてチャレンジしたのだから
チャレンジしている時間には大きな意味がある
レールの上を歩いている時の官位やお金や世間の賞賛に匹敵するだけの価値がある
世間の人はそれを理解しないだろう
しかしそれでいい
若い時の彼は、それも含めて、自分の人生を選んだのである
チャレンジには価値があり
彼に続くチャレンジャーを勇気づける
貧しく、世間から褒められず、いいことは何もない、
それでもいいではないか
そうなる可能性もよく考えたうえで
彼はチャレンジしたかったのである
昔のことだからヘッジをかけておくというような知恵もない
むしろそれが真っ直ぐな道で良いではないか
いまも数多くの、英雄になりそこねた虎が世間に溢れている
むしろ英雄を志さない青年がいたらがっかりする
彼のような選択ができたのも、彼がまれに見る秀才であり、
かつ、勇敢なチャレンジャーであったからだ
価値観は人それぞれだから
どの道が一番偉いというものでもない
ただかれは青春時代の夢に忠実だったのだ
現実よりも世間よりも自分の信念にかけた
そんな素晴らしい人生はない
失うかもしれないものも正確に測定できていた
そしてその価値は大ハイが、それでも、それを掛け金にして
ルーレットの上においたのである
賭けが外れてくよくよ後悔するのも人間らしくてよろしい
むしろ好感が持てる
素直な人間である
最後は虎になってしまってもいい、
賭けてみたい、それが人生である