強い「志」を持ち、なおかつ「執着」を手放す

採録
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 今回は、世の中の経営の常識とは正反対の
山田昭男経営学のひとつの側面をお話ししましょう。
 どこの会社でも、売り上げ目標、利益目標を
作りますね。あるいは、店舗数など規模の目標を
掲げる会社も多いです。数値的な目標以外にも、
企業理念とか、従業員のあるべき姿勢など、
フィロソフィカルな目標を提示します。
 ところが、山田昭男さんが創業された未来工業には
そういう目標が一切ありません。上場企業なので、
四半期ごとの業績予測を公表しなければなりませんが、
それは外向きの数値であり、内部では一切無視します。
 全社的な目標がないだけでなく、個別のセールスの
ノルマも一切ありません。すべてが出たとこ勝負なのです。
 企業理念もなく、従業員を評価することもなく、年功序列。
あるのは「常に考える」というスローガンひとつだけです。
 いままでの経営学を学んだ方からは、「何といい加減な
経営なんだろう」と思われるかもしれませんが、最新の
リーダーシップ学を参照すると、山田昭男経営学というのは
まさに時代の最先端をいっていることがわかります。
 以下にそのご説明をしましょう。
 企業経営に限らず、受験勉強でも夢の達成でも、
私たちは明確な目標を設定して、それに向かって遮二無二努力する、
というやり方しか知りません。
 これは、とても有効な方法論
であり、そのやり方で成功した人は身近に大勢いるでしょう。
 この方法論を「目標努力型」と呼ぶことにしましょう。
 ところが、たとえば「意識の変容」に向かう時、この
「目標努力型」の方法論は使えません。
 「意識の変容」というと、ほとんどの方は縁がない、
と思われるかもしれませんが、何かのきっかけで、ものの見方
が変わり、人生が大きく変化することをいいます。
 重篤な病気を克服すると、
ときに名経営者が生まれるなどがその典型です。
 天外塾では、重病にならなくても「意識の変容」を体験し、
名経営者に向かえるようにお手伝いしております。
 「変容」というのは、ちょうど
「さなぎが蝶に変わる」ようなものです。
 もちろん姿形は変わりませんが、重病を経て変容した
名経営者は、それまでに比べて一段と高い精神的なレベル
に達しています。
 このとき、「さなぎ」には「蝶」を想像する能力はなく、
目標として設定することはありません。目標に向かって努力をする
という方法論で進んでいると、いつまでたっても「さなぎ」のままです。
もっと「かっこいいさなぎ」になれるかもしれませんが、「蝶」
には変容できないのです。
 経営の世界では、「意識の変容」という言葉は
耳慣れないと思いますが、宗教ではそれが本道です。
 仏教でいう「悟り」に向かう時、
修行者はたゆまなく、次々と「意識の変容」を続けていきます。
 したがって、仏教の修行の方法論は「目標努力型」ではありません。
たとえば、道元が説いた「只管打座」というのは、「悟りを開きたい」
「涅槃に入りたい」「いい瞑想を体験したい」
といった目的意識を手放して、
ただひたすら坐れ、という坐禅の心得です。
 こちらの方法論の特徴は、
「目標や目的を手放す」ことのほかに、
「結果に執着しない」
「そこで起きるプロセスを信頼し、プロセスにゆだねる」
「過去を悔やまず、未来に不安を抱かず、“いま・ここ”に存在する」
などです。
 この方法論を「いま・ここ型」と呼ぶことにしましょう。
 意識の変容とか宗教的修行とかいうと、自分とは関係ない遠い世界の話、
と感じる人が多いと思いますが、スポーツの世界では「勝つことに執着」
すると勝てない事はよく知られています。
 サッカーの前日本代表の岡田武史監督は
「勝ちたい、勝ちたいと思って
いるとなかなか勝てないが、時々は勝てる。
 それは、相手の監督がもっと
勝ちたい、と思っている時・・・」と、いっておられました。
 勝つというのは結果ですから、未来の話です。
 勝つことに執着していると、
意識は未来に逃げており、「いま・ここ」に存在できていません。
 人間は「いま・ここ」に存在するときに一番力を発揮する事がよく
知られています。スポーツの世界でも「いま・ここ型」はお馴染みです。
 しかしながら、「オリンピックで金メダルを取る」などの目標を作って
それに向かってトレーニングする、というやり方で成功した人は多く、
「目標努力型」も良く知られております。
 こちらの目標は「志」と呼んでいます。
「志」というのは、どちらかというと
方向性をあらわしており、
結果と直接的には無関係なために「いま・ここ」に
存在する事を妨げません。
 強い「志」を持ち、なおかつ「執着」を手放す、
というのが、今まで良く知られている「成功の王道」です。
 ある意味では、「目標努力型」と
「いま・ここ型」を上手に組み合わせている、とも言えます。
「執着」と「志」の違いを身体的に把握できれば、人生の達人になれます。
 企業経営でいえば、売上、利益、規模などの数値化出来る目標は
「執着」になりやすく、企業理念などの方向性は、うまく運用すれば「志」に通じます。
 横田英毅さんのネッツトヨタ南国では、
売上、利益、規模は追わず、
企業理念に向かって質の向上を目指しています。
 長い年月を経て、結局売上も利益も
後から付いてくるようになりました。
「志」を高め「執着」を手放す経営の典型でしょ
う。
 ところが、山田昭男さんの経営学は
「企業理念」はなく、「志」まで手放してしまうのです。
 会社がどの方向に進むのか、経営者はノータッチという感じです。
「目標努力型」の要素はまったくなく、
「いま・ここ」だけに集中した経営、といっても良いでしょう。
 会社名が「未来工業」であるにも
かかわらず、未来を志向していないのです。
 天外塾の塾生が、あるとき山田さんに
「未来工業」の「未来」というのは何を意味するのですかと聞いたら、
ひとことぼそっと「いまだよ」といわれたといいます。
 おそらく山田さんは、とても本質的な事を掴んでおられます。
それを今からご説明しましょう。
 じつは「志」というのは、
強力な推進力になるのですが、同時に自ら制限を
設ける、という要素も否定できません。
 前述のように、「さなぎ」の目標が
「蝶」になることを妨げることもあるのです。
 思い切って「志」を手放してしまうと、
もしうまくいけば、事前に自分で
思い描いた以上の高次元な成長をすることもあるのです。
 プロセス指向心理学という
新しい心理学の一分野を切り拓いた、A.ミンデル
の代表的な著作に『後ろ向きに馬に乗る』というタイトルがあります。
 馬がどこに行くのか乗り手は一切関知しない、
という意味です。そこで起きる
プロセスを全面的に信頼し、それにゆだねる、という方法論です。
 プロセス指向心理学というのは、
ユング心理学と中国の「老荘思想」が
ドッキングしたものであり、
その背景には「宇宙の計らい」に対する
絶対的な信頼があります。
 浅はかな人間の分際で、あれこれと思い患わ
なくても、宇宙は常に最適な道を用意してくれる、
という老師の思想を取り入れています。
 じつは、AI(Appreciative Inquiry)とか
OST(Open Space Technology)
などの最新の組織開発の方法論にも、
まったく同じ思想があります。
 組織がどの方向に進んでいくかは、
ファシリテーターは一切関知しない、
そこで起きるプロセスを全面的に信頼する 、
一切の指示命令はしない、などが原則です。
 場合によったら、ファシリテーターは、現場から
いなくなったりします。
 ただし、ファシリテーターの心のありようは厳しく問われており、
少しでも信頼が揺らぐとうまくいかない、
あるいは自己顕示が出ては
いけない、といわれています。
 私は、山田昭男経営学と、
宗教的な修行の思想である「只管打座」、
プロセス指向心理学やAI,OSTといった手法と、
奇妙な一致を見出し、それを一冊の本にまとめるべく奮闘中です。
 山田昭男さんの経営を全面的に取り入れて
実行するのは大変ですが、
未来への不安や過去への反省に逃げないで、
「いま・ここ」を意識する
ことができれば、
誰でも必ず経営の質が良くなることでしょう
(天外伺朗)