陽性症状とか陰性症状とか

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陽性症状とか陰性症状とか
言ったりするじゃないですか

それでその定義が
普通ないはずのものがあるとか
普通あるはずのものがないとか
そんなものなんですね
科学的操作によって決定されるものではないんです

普通あるはずのものって何かなと考えると
キリスト教だったら
13は不吉だと感じることとか
それは自明のことであって、その自明性が失われているのだとかいうんですね

何があって、何がないかを決めているのは、
個人の感覚や判断力ではなくて、
広範囲に深い、習慣とか常識とかそんなものでしょう

そもそも人間の自意識とか自由意志(この言葉も、神学的に言えばずっと深い意味を持つけれども)とか
錯覚により成立し、やがて共有されたものであれば、
それがないことが、なぜ病気なのだろうか

ないものはないと判断したほうが
よほど健全な個体ではないか

しかしそうではない
これは生物学的な問題ではなく
社会的政治的な問題なのだ

ただ違うというだけなのだ
そのどこが病気だというのだろうか

先生の言いつけに従わないのはおかしい
先生に殴られたら、愛を感じて感謝しないとおかしい
生物学的な性を否定するのはおかしい
働く意欲がないのはおかしい
お金のためならどんなことでもガマンしないとおかしい
偉人が言ったら信じないとおかしい
都知事になったんだからジャンク絵画を経費で買い集めても、不適切であるが違法ではない
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そうね、あの人の場合、
あるはずのものがないのか
ないはずのものがあるのか
考えるといろいろあって面白い