中島敦「山月記」の自己愛のあり方

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中島敦「山月記」
隴西ろうさいの李徴りちょうは博学才穎さいえい、天宝の末年、若くして名を虎榜こぼうに連ね、ついで江南尉こうなんいに補せられたが、性、狷介けんかい、自みずから恃たのむところ頗すこぶる厚く、賤吏せんりに甘んずるを潔いさぎよしとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山こざん、※(「埒のつくり+虎」、第3水準1-91-48)略かくりゃくに帰臥きがし、人と交まじわりを絶って、ひたすら詩作に耽ふけった。下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとしたのである。
科挙に合格して官吏として仕えていたのであるから、自他共に認める秀才である。
しかし、このくだらない現実を生きることを不十分、不満足であるとし、
自分の目標は死後百年に名を残す詩人になることであると考えた。
愛人とゴルフに出かけるアホな先輩を見て、あんな風にはなりたくないと心に誓ったのである。
誓ったとすれば、目標のためには捨てるものは捨てなければならない。
仕事も家族も友人も親戚も、捨てるのである。
しかし、詩というものは天啓のものであり、努力または決意に比例して成果が上がるものではない。
そして何より、彼の場合は、すでに認められた学才を否定し、すでに約束された未来の栄達と富裕を捨てているのだという「陶酔」がある。その陶酔ですでに彼は英雄なのであった。
肥大した自己愛を満たす容器としては、官吏は不足であった。
毎年何人も誕生し、最高位の官吏となるものは、さらにその中の少数である。
しかも、栄達は偶然により、また人脈により達成されるものである。
彼の自己愛はそれらの屈辱に耐えられなかった。
成功の見込みも定かではない、百年先まで尊敬される詩人を目指した。
実際のところは、貴重なものを捨てて、詩人を目指したという点で、
すでに彼の自己愛は満たされている部分があったのである。
小説を読む立場としては、読者を幾つものレベルに設定することができる。
たとえば、
1.たいていは受からないが、ひょっとすれば科挙に受かるかもしれない若者。
2.科挙に受からなかった若者、それ以後の年齢の者。
3.科挙に受かったが、地方官吏として俗物となっている者。
4.官吏として栄達を極めた者。
それぞれのレベルで、共感もでき、納得もできるものだと思う。
それぞれのレベルで、またそれぞれの自己愛の様相を抱え、
この小説を読む。
その営みを考えてみることが興味深い。
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