(朝日新聞社説)甘利氏不起訴 政治不信深めたザル法

 あんなにおかしなことをしても罪にならないのか――。多くの人が釈然としない思いを抱いたのではないか。
 甘利明・前経済再生相をめぐる金銭疑惑を調べていた東京地検は、同氏と元秘書2人を不起訴処分にしたと発表した。
 甘利氏らは都市再生機構(UR)と土地の補償交渉をしていた業者から計600万円を受けとるログイン前の続きなどした。その前後に元秘書は業者側にたってURに働きかけをしており、あっせん利得処罰法違反の疑いがもたれた。だが、起訴できるだけの証拠がそろわなかったという。
 16年前にこの法律が議員立法でつくられたときから、ザル法との批判がついてまわった。
 とりわけ問題とされたのは、国会議員らが口利きの見返りに金を手にしても、「権限に基づく影響力」を行使しなければ摘発されないことだった。
 当時の野党はこの要件に反対した。国会に参考人として招かれた学者らも「法律上の権限はないが顔のきく大物議員が働きかけたときには適用できない」「抜け道が多い」と繰り返し指摘した。だが自民、公明などは「処罰範囲が広くなると自由な政治活動が萎縮する」との理由から削除に応じなかった。
 そして今回、当時の懸念が現実のものとなった。
 政治家やその秘書が人々の要望を聞き、役所などに伝えるのがいけないと言うのではない。口を利いて金をもらうことはしない。違反した者は罰する。必要なのは、当時も今も、この単純で当たり前の考えにたち、それを実効たらしめる法律だ。
 あっせん利得処罰法は、政治家らの清廉さをたもち、国民の信頼を得ることを目的としている。だが甘利氏らの一連の行いと不起訴という結末によって、政治不信はむしろ深まった。
 批判の目は甘利氏にとどまらず、お手盛りで法律をさだめ、そのままにしてきた国会にも向けられている。与野党とも問題がどこにあるかを検証し、見直しにむけて動くべきだ。
 起訴はまぬがれたが、甘利氏の刑事責任と道義的・政治的責任は別である。大臣を辞任したことし1月末以降、体調不良を理由に国会を休みつづけ、秘書の行動について「調査を進め、公表する」との約束は、いまだ果たされていない。
 甘利氏は、捜査への配慮から中断していた独自の調査を再開するとの談話を出す一方で、検察審査会の動きに触れ、発表が遅れる可能性も示唆した。
 何をかいわんや。先延ばしは、もう許されない。
(朝日新聞社説)甘利氏不起訴 政治不信深めたザル法 2016年6月2日