イチロー、試合後のインタビューで
「厳正な第三者の公平な判断に任せたいと思います」
の舛添流を何度も繰り返して
笑いを誘う。
嘲笑と哀れみと羞恥の対象である。
ケチという表現は当たらない。
公金横領である。
ここに至って
第三者の判断をと言っているのは
バカバカしい形式論で
自分がしたことなのだから第三者の調査が必要な事項ではないはずで
舛添氏自身の行動そのものが批判されているのである
それを自分で説明できないことを反省しない彼自身も
また反省させないマスコミと世論も
タガが外れているのである
世間もマスコミも、まあまあしか騒がないのは
「政治家も会社のお偉いさんもみんなやっているでしょ」という前提があるからだし
舛添氏自身がのうのうとしていられるのも
甘利氏のこともあるし、オリンピックの賄賂や利権のこともあるし、
世間だって、世の中がそういうものだとは分かっているだろう
政治家はそれがいいから政治家になるんだよ
と国民が思っていると推定しているのだろう
現代のベートーベンから
野々村県議から
甘利、舛添、百鬼夜行である
なぜ
世間が物分りがいいのか
不可解である
それはマスコミが、世間は物分りがいいと誘導するからだ
なぜマスコミがそうするかというと
電通を通じて資本の意思が浸透しているからである
我々の社会は不完全な民主主義社会であるが
それ以上に完成された資本主義社会である