1945年8月の原爆投下に改めて注目が集まっているが、米軍の当初計画では横浜も有力な投下候補だった
投下都市の選定作業は45年4月27日にワシントンで開かれた
ソ連軍がベルリンに突入し、ドイツの敗北は時間の問題という段階だった。
①人口が集中し、直径3マイル(約4・8キロ)以上の広さを持つ都市
②東京と長崎の間に位置する
③高度の戦略的価値を持つ――などを選定基準とすることを確認した。
具体的には東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、八幡、福岡……と17地域・都市をリストアップした。
「すでに破壊された地域は除外されるべきである」との条件がついている。初めて使用する原爆の破壊力を確認するには空襲の被害を受けていない都市が望ましいとされたからだ。川崎は4月15日に大規模な空襲を受けており、この段階ではまだ人口の多い都市を列挙したにすぎなかった。
①広島②京都③横浜。
グローブス将軍が書き込んだ可能性が高い。原爆投下の候補都市の順位づけであり、広島と並んで横浜が投下の有力候補に浮上していた。
第2回委員会は5月10、11の両日に開かれ5都市と皇居を個別に検討した。
横浜は「まだ手つかずの重要工業地域で、航空機・工作機械・電気設備の製造が行われ、ドックや製油所がある。東京の被害が増すにつれて、新たな工業が移転した」として北九州の小倉と並んでA級目標に分類された。それより優先順位の高いAA級には京都と広島が挙がっており、横浜は3番目の位置づけだった。
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普通は、最高責任者を亡き者にして、相手集団の戦意を喪失させる、というのが第一選択でしょう。
当時はそれとは違う状況があったわけでしょうね。
占領統治の方式として
共和制ではなく君主制を残し、朝鮮半島情勢とソ連の南下に対応する、とか言われていますね。
普通は、最高責任者を亡き者にして、相手集団の戦意を喪失させる、というのが第一選択でしょう。
当時はそれとは違う状況があったわけでしょうね。
占領統治の方式として
共和制ではなく君主制を残し、朝鮮半島情勢とソ連の南下に対応する、とか言われていますね。