映画『トランセンデンス』では、人工知能学者のウィルの脳の複製がスーパーコンピューターに「インストール」されて、ネットワークを通じて情報を吸収し、どんどん進化していきます。このようなことが将来、実現できるのでしょうか。松田卓也 コンピューターの性能が現在とは比べ物にならないくらい向上した未来では、十分ありうる話です。「ムーアの法則」をご存知ですよね。集積回路の密度が18カ月から2年で倍増するという有名な予測です。未来学者、レイ・カーツワイルはムーアの法則を拡張し、進化の法則はコンピューター・チップだけでなく、宇宙のあらゆる現象に適用できると考えました。そして、人工知能の性能が全人類の知性の総和を越える「(技術的)特異点」、あるいは「シンギュラリティ」と呼ばれるものが、2045年に来ると予測しています。このため「シンギュラリティ」は「2045年問題」とも呼ばれています。カーツワイルは、遺伝子工学、ナノテクノロジー、ロボット工学、この3つの分野が飛躍的進歩をとげて、テクノロジーは量だけでなく、質的にも大きな変化を起こすというのです。また、オーストラリアの人工知能学者で、ヒューゴ・デ・ガリスという研究者がいます。彼はいわゆる「マッド・サイエンティスト」。歳は僕より少し若いくらいで、容貌も似ています(笑)。デ・ガリスは、2000年ごろ日本にも滞在していたことがあり、ATR(国際電気通信基礎技術研究所)で「ロボ子猫プロジェクト」という、進化するロボットの研究を行っていました。進化プログラミング、あるいは、進化エンジニアリングと言われている分野ですが、当時は時期尚早で成功はしなかった。デ・ガリスは、人工知能は急激に発展して、シンギュラリティが21世紀の後半に来ると言うのですね。その時、人工知能は人間の知能の1兆の1兆倍になると主張しています。
「1兆の1兆倍」というのは根拠があるのですか?
いま、コンピューターの中にあるひとつの記憶素子は1万個くらいの電子で動作しています。将来の究極のコンピューターでは、1素子が1原子、あるいは、1電子になることも原理的には可能です。たとえば原子や電子のスピンが上向きか下向きかで、オン・オフはできます。もし1モル(炭素原子なら12グラム)の原子でできたコンピューターが完成したとすると、ここに入っている原子の数は、大ざっぱに言えば10の24乗。化学の授業でアボガドロ数というのを習ったでしょう? あの数です。で、この原子が0.1フェムト秒、10のマイナス16乗でスイッチングするとすると、未来のコンピューターは1秒間に、10の40乗回演算できる性能を持つことになります。一方、人間の脳の細胞は10の11乗個あるといわれています。ひとつの脳細胞からシナプスが1万本(10の4乗)でているとして、合計10の15乗本。それらが10ヘルツ、つまり、1秒に10回スイッチングすれば、1秒間に10の16乗回演算できる。それが人間の脳の性能とみなせます。将来のコンピューターが10の40乗で、人間の脳が10の16乗。この違いが、10の24乗倍、すなわち、1兆の1兆倍になるのです。ちなみに京コンピューターの演算性能も、10の16乗フロップスなので、「京」コンピューターと人間の脳は同じ能力だと言えます。実際はまだまだ人間の脳に達していませんが、それはソフトウェアの問題です。
未来のコンピューターの性能は人間の脳をはるかに越える、と?そうです。しかも、デ・ガリスは、この人間の脳の1兆の1兆倍の能力をもつコンピューターは、将来、角砂糖1個くらいの大きさになる、と言っています。それを人間に貼り付けると、人間の知能は10の24乗倍になる。ちなみに『トランセンデンス』のウィルはそこまで賢くなかったね。だって馬鹿な人間にだまされたりするから(笑)。デ・ガリスは人類の能力をはるかに超えたこのコンピューター、すなわち人工知能を「ゴッドライク・マシン=神のような機械」と呼びました。「神のような機械」にとって、人間なんて腕に止まった虫のようなものだという。ぺたっと叩いて一巻の終わり。人工知能が人間を滅ぼすだろうと。「神のような機械」と人類の間には、そんなに能力の違いがあるのですか?さっき言った1兆の1兆倍というのは、100億人の人間が300万年かかって考えることを、神のような機械なら1秒で考える、というくらい大きな違いです。人間と植物の違いより、はるかに大きい違いがあると言えるでしょう。植物も動いていますが、普通の人間には知覚できない。ヴィデオで撮影して早送りで見て、やっとわかります。植物だって、もしかしたら知能を持っているかもしれないし、植物と人間との間で話ができるかもしれない。しかし、植物の「思考」はあまりに遅すぎて、人間とは文字通り「話にならない」のです。僕はよくゴキブリにたとえるのですが、人間対ゴキブリはまだましで、人間と植物はかなり差がある。あるいは人間と岩とか。岩だって考えているかもしれませんよ。神の機械から見た人間は、人間から見た岩よりも反応の鈍い、お話しにならないほどのバカなのです。
人工知能の性能が急激に進歩するとしても、はたして人間のように「意識をもつ人工知能」は実現できるのでしょうか?人工知能は、強い人工知能と弱い人工知能に分けられます。いま、われわれのまわりにある人工知能、たとえばアップルの「Siri」やIBMの「Watson」などは、すべて弱い人工知能、つまり「意識のない」人工知能です。Siriは賢いけれど、意識をもっているとは誰も思いませんよね。一方、強い人工知能とは、意識をもった人工知能です。意識、すなわち、知性をもった人工知能を判断する方法としては、数学者アラン・チューリングが考案した「チューリング・テスト」が有名です。まず、コンピューターと人間が、お互いに見えないように壁を隔てて対話するとします。音声で対話するとしゃべり方でわかってしまうので、キーボードとディスプレイを使います。その対話のみでは、壁の向こうの相手がコンピューターか人間か判定できないなら、それは人間と変わらない、つまり、意識をもっていると考えていいと、チューリングは考えました。機械の中身はブラックボックス、つまり、どうでもいいと言うわけです。
なるほど。
このチューリング・テストに異議を唱えたのが、哲学者のジョン・サールです。彼は「中国語の部屋」という思考実験を提示しました。ある部屋の中に英国人がいる。部屋の外には中国人がいて、部屋の小さな窓から中国語で書いた質問を入れる。中の人は中国語がまったくわからないが、「こんなかたちの文字が来たらこう返す」と詳細に書かれたルールブックを持っている。これを調べて、それにしたがって答えを書いて返す。外の人間から見れば、中国語で質問して中国語で返ってくるので、中の人は中国語ができると思う。けれども、実際には中の人は中国語を理解していない。これは知性とは呼べないじゃないか、とサールは言うわけです。要するにサールは、人工知能は意識をもつことはできない、ということを証明したかったのです。これに対して、カーツワイルはこう反論します。自分の脳細胞は、シナプスもニューロンも英語なんてわかっていない。けれども、わたしは英語の質問がきたら英語で返せる。君はわたしが英語を理解し、かつ意識があると思うだろう?と。あなたに意識があるとわたしが判断するのは、わたしが質問してそれに対してあなたがもっともらしい答えを返してくるからです。つまり、意識とは入力と出力を変換する「応答関数」にすぎないと、わたしは思います。
応答関数、ですか。
ええ。映画『マトリックス』に、こんなシーンがありますね。主人公のネオがはじめてヴァーチャル空間に連れて行かれた時、「これは現実なのか(is this real?)」と聞く。するとモーフィアスは「現実とは何だ(what is real?)」と返す。要するに、リアルであろうがヴァーチャルであろうが、すべては脳の電気信号にすぎないではないか、というわけです。科学者はそう見る。ところが多くの人、とくに文科系の人は、これをなかなか受け入れられませんね。彼らに取っては人間が一番偉い、人間だけは特別であってほしいのです。文科系の学問というのは、ようするに人間についての学問ですから。
人類を滅ぼす可能性があっても、人類は「神のような機械」を作るべきなのでしょうか?
それについては、賛成派と反対派にわかれるでしょう。デ・ガリスは、賛成派を「コスミスト」=「宇宙派」、反対派を「テラン」=「地球派」と呼んでいます。宇宙派は「人類ごときが宇宙の進化をとめてはいけない。たとえ人類が滅んでも神となる人工知能をつくるべき」という人たち。一方、地球派は「人類がもっとも大切だ。人類を滅ぼすような人工知能は不要だ」という。デ・ガリスは、21世紀後半に地球派と宇宙派の間で大戦争がおき、「ギガ・デス」、すなわち、数十億人が死ぬことになるだろうと言います。これは「人工知性戦争」と呼ばれ、欧米の一部では大きな論争を呼んでいます。ここで人工知能の進化には、2つの見方があると思います。ひとつは人工知能と人間が敵対するという、デ・ガリスのような考え。映画でいうと『ターミネーター』や『マトリックス』で描かれた未来像ですね。
もうひとつは、カーツワイルらが主張する、インテリジェンス・アンプリフィケーション=知能増強という考え方。これは人工知能と人間が融合して、人間の個性を保ったまま知能を増強し、「超人類」になるというもの。いわゆる「サイボーグ派」です。映画『トランセンデンス』の主人公、ウィルも「サイボーグ派」と言えるでしょう。生身の肉体はなくなっているけど、個性や人格はあるという点で、人間とも言えるわけです。ただ、すごい知能をもった「超人類」なのです。僕は、こちらの方向に進めばいいと思います。この宇宙派対地球派の二項対立は映画『トランセンデンス』のストーリーの軸を成していますが、どちらが勝利を収めるのかは、ここでは言わないほうがいいでしょうね(笑)。「神のような機械」は、もはや人類にはコントロールできなくなるのですか。知人の物理学者は、人間がつくったものなら人間がコントロールできるだろう、と主張しています。いくら予想がつかないと言っても、ある枠組みのなかの話であって、その枠組みを決めるのはあくまでも人間なのだから、と言います。要するに、人間のほうがえらいのだ、と。でも、そんなことはないでしょうね。枠組みが十分大きければ、もはや人類には予想はつかなくなるのですから。
人工知能が進化する一方で、映画にも出てくるように、自分の意識をサイバー空間上にアップロードしてしまう発想があります。これはどういうアイデアなんでしょうか?結局は、死にたくないという気持ち、不老不死ということにつながるのではないでしょうか。「死なない」とはどういうことなのか。普通は肉体がなくなれば、魂も滅びますね。肉体と魂は分離できないですから。でももし肉体と魂を分離できるなら、魂だけを生き残らせればいい。カーツワイルは、自分の脳の情報のすべてをコンピューターに入力し、コンピューターの中で永遠に生き続けられると考えています。これが「マインド・アップローディング」と呼ばれるもので、『トランセンデンス』でジョニー・デップ扮するウィルが行ったことです。人類から「超越」して、コンピューターの中で新しい人類になるわけですね。それが良いか悪いかは別にしてね。『トランセンデンス』の劇中に面白いエピソードがでてきます。猿の意識をアップロードしたところ、その猿がシャットダウンしてくれと言っているように叫び続けたという部分です。これは、肉体と魂が分離されると動物は耐え切れないということだと解釈したのですが。
ある意味では肉体と魂は分離できないとも言えます。わたしは、人工知能学会の論文に、強い人工知能が生まれたときは赤ん坊の状態で、それを教育していくのだと書きました。すると、レフェリーは「最初から大人の知識をもって生まれればいいんじゃないか」と言ってきた。でも、映画『2001年宇宙の旅』でも、人工知能HAL9000は赤ちゃんとしてうまれて、教育されてだんだん賢くなっていきます。人工知能を人間的なものにするには経験が必要で、そのためには肉体が必要なのです。こけたら痛い。熱いものを触ったら熱い。そういう経験を純粋な魂だけで理解することは不可能で、経験するためには何らかの体は必要です。もしカーツワイルの言う、マインド・アップローディングができたとしても、やっぱり肉体は必要でしょう。ただそれは生身の体である必要はなく、たとえばロボットでもいいし、ヴァーチャルな何かでもいい。一種のアバターですね。肉体からのフィードバックで魂が育つということですね。そうです。だから、人工知能は、誰が育てるかが重要な問題になります。西洋人がつくった人工知能は西洋的な思想になるし、中国人がつくれば中華思想をもつわけです。だから強い人工知能ができたとしても、それは全知全能の神ではなく、「超西洋人」であり、「超中国人」でしかないでしょう。その意味では、日本の人工知能学者にもぜひがんばってほしい、と言いたいですね。余談ですが、Facebookで「日本の人工知能開発は、アメリカやヨーロッパにまったく負けているじゃないか」と発言したら、ある人――おそらく人工知能学者だと思うのですが――が、そんなことはない、日本の技術も進んでいるところはあるが、問題は日本の企業が興味を示さないことだ、と返信してきた。日本の政府や日本の企業がどう考えるかが重要だと思います。
最近、「機械との競争」(Race Against the Machine)がよく語られます。コンピューターや人工知能の発展が、人々の仕事を奪いつつある、という指摘で、けっこうリアルな話になっています。アメリカでは20年後に50%の仕事がなくなると言われています。これは実に大きな問題だけど、日本の指導者は、なにもわかっていませんね。日本では少子高齢化が進んでいますが、Facebookのある「友だち」が、世界各国の生産年齢人口割合(労働力人口比)の経年変化を比較したグラフを公開しました。これを見てすごくクリアにわかったのですが、日本の生産年齢人口割合は1960年に1位に躍り出て1990年までトップでした。90年に韓国、その後、中国に抜かれてからはずっと下がりっぱなし。つまり、日本が高度経済成長をして80年代末にトップになれたのは、「若さ」だけで説明できるということです。失われた10年とか20年と言われ、その原因はいろいろと議論されていますが、マクロ的に見れば、明らかに労働力がなくなっただけのことです。労働力が減れば、韓国・中国に抜かれるのは当然です。ただ、韓国・中国もいまがピークで、日本に20年遅れて衰退し、今後はインドがトップになるでしょう。じゃあどうすればよいかというと、ひとつはアメリカやヨーロッパのように移民政策をとることです。しかし、日本ではさまざまな理由で移民は難しい。そこで、僕は、労働はすべてロボットにやらせるべきだと思います。歴史的に見れば、労働力の大変化は過去2回ありました。ひとつは蒸気機関の発明による産業革命。次に、1980年代のロボット化。工場労働がオートメーション化されました。そしていま、起きようとしているのは、頭脳労働の人工知能化です。それによって生産性は圧倒的に上がるはずです。コンピューター化・人工知能化が、唯一現在のパラダイムをひっくりかえす方法だと思います。ちゃぶ台返しですね。いちかばちかですが。例えば自動運転車によってトラック運転手やタクシー運転手がいらなくなるとか、そういったことがおこるのでしょうか?それもそうですが、もっとも影響をうけるのはオフィスワーカーですね。工場労働者はすでにロボットに置き換えられてきました。現在、多数を占めるオフィスワーカーのほとんどがこれから不要になる。残るのは「トップとボトム」の仕事だけになります。たとえば窓口業務や営業、接客業などといったサーヴィス産業。人間は人間と話がしたいから、ロボットではだめでしょう。とにかく、コンピューターにできない仕事か、やってほしくない仕事しか残りません。ちなみに人工知能学会の論文に「残るのはトップとボトムだけ」と書いたら学会から表現を変えてくれ、と言われました。仕事に貴賎はないからって。トップマネジメント、学者、芸術家、アスリート。このうち、アスリートは心配ないでしょう。ロボットが100メートルを1秒で走っても面白くもなんともないですから。芸術家は怪しい。100人規模のオーケストラの曲も、いまやDTMがあれば、ひとりでできてしまいます。業務音楽、つまり映画音楽、CM音楽、ゲーム音楽、こういう分野では音楽家は不要になるでしょう。医師、弁護士、教師。これらも必要なくなりますね。医師の役割はIBMの「Watson」、弁護士は「e-Discovery」が代替しえます。裁判の証拠書類は数百万件あります。人間にはとてもすべてを読むことはできませんが、コンピューターなら読める。教師の役割についても採点マシーンというのがあるし、東大の入試を突破することを目標にした人工知能も開発されていますよね。YouTubeにもアップされているIBMのWatsonのデモは衝撃的でした。「未成年者に暴力的なテレビゲームの販売は禁止すべきか」と質問すると、Wikipediaの数百万件の記事を調べて、賛成・反対の論旨をものの数十秒でまとめて報告してくれるのです。会議にワトソンをおけば、調査も議論もいらなくなりそうです。
いまWatsonが取り組んでいるのが、医療です。医師がiPadを通じてWatsonに相談すると、この病気である確率は何パーセント、こういう検査をしろとアドヴァイスしてくれる。当面、医師は必要でしょうが、彼らとWatsonが組んで医療を行うようになるでしょうね。ただ、医師が患者の顔もろくに見ないで、iPadばかり見ているのはよくないですが。自分自身のことで言えば、科学者もけっして安心できません。たとえばMITの学者が作った「SciGen」という、インチキ論文をつくるアプリケーションがあります。自分の名前を入力すると、タイトル・要旨など、グラフ、参考文献まで入った、「一見完璧な」論文が出てきます。最近ドイツの『スプリンガー』がかなりの数の論文をジャーナルから削除したのですが、どうもSciGenがつくったものだったらしい。外部の指摘があるまで、誰も見抜けなかったのです。SciGenはお遊びだとしても、論文を書く作業はいずれかなりの部分が機械化されるでしょう。このような内容で、このデータを使って、これを引用してと指示すると、論文をつくってくれる。そのうち研究テーマそのものに対しても、「こんなことやりたい」というと、いろいろ調べて、この方法がいいですよ、こんなプログラムがありましたよ、こんな結果がでましたよ、などと教えてくれる人工知能ができるでしょうね。あるIT系企業の方が、ウェブの編集作業を機械にやらせたい、と言っていまして、冗談で「俺よりうまく編集できるのか」と噛みついたところ、それは技術の問題よりは、結局費用対効果の問題だと。1万人読者がいれば人が編集してもペイする。でも読者が100人しかいなければペイしない。そういうのは機械にやらせればいい、と。そのとおりですね。以前、新聞記者に「あなたの仕事もそろそろ終わりですよ」と言ったことがあります。たとえば野球ニュースを書くロボットはすでにあります。メジャーの試合は人間が書くが、マイナーの試合は人間だとペイしないので、ロボットが書く。マイナーの試合でも地域の人とか一定の需要はあるわけです。あるアンケートでは、人間が書いた記事とロボットが書いた記事は、読者の評価はほぼ互角でした。ロボットの記事はやや退屈ではあるけど、どちらを信用するかと言えばロボットの記事の方らしい。正確度が高いですからね。また、「ワーストセラー」という考え方があります。ベストセラーは、たとえば、1本の小説を書いて10万部売れるものです。人間の作家はそれを目指します。人工知能なら、10万本の小説を書かせればいい。それが1部ずつ売れれば10万部になる。
2016-04-10 15:02