“「勝者は嵐を生き延びた者ではなく、ゲームのルールを変えた者だ」”
という言葉があるのだが
アメリカがすきなのはゲームのルールを変えること
オリンピック競技のルールが変えられたりする
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日本では最近、土俵の上でルールにしたがって勝負したくないらしく、
あの新聞社をつぶせとか、あの放送局は放送法でどうしろとか、
相手を土俵に上がらせないようにしたりとか
そのような策謀が目立つ
日本共産党は暴力革命を目指していると閣議で認定されたりもした
普通、自分もそれに従うことになる言論のルールを決めるときは、
もしかしたらそのときの自分の信念が間違っているかもしれないから、
慎重に議論したうえで決定し
後に間違いが判明したら訂正できるように
制度を考えたほうがいい
直接お金を支給して選挙に勝とうと考えるなど
「理想的な有権者」がいるとすれば
当然却下されるべき政策であるが
そしてかつて麻生氏は「さもしい」と評したのであるが
またしてもそれでうまくいくと考えたらしい
お金の話をして投票を誘導し
投票が終わったら
憲法の話と「日本防衛軍」が米軍の指揮下に入る話をすすめるらしい
最近ではそもそもそんな話をするのが大人ではないと考えたり
そんな話になってしまった時も、一段上の立場で、
いずれにしても現実と理想の妥協点をよくよく考えるべきだとか言っておけば良いような雰囲気になっている
これは実際にはかなり閉塞的な状況なのだと
自覚している
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地震は、じわじわとプレートの衝突が進行し、歪みが蓄積され、それが一気に崩れて歪みがゼロになるときに起こる
政治は、経済が良くて税収も確保できている時には穏健派と愛国派が交代するような様子で
経済が悪くなると愛国強権派がじわじわと勢力を伸ばすようである
それは一旦破綻するまで突き進むしかないようだ
なにしろブレーキがない
立憲主義も破壊し三権分立も破壊し
選挙制度もマスコミも自分たちに有利に操作する
議会と民主主義の理念を実現するよりも大事な目標があって
そのためならば一時的に強権的な、あるいは抜け道だけを通り抜けるような政治でも
許されると考えるらしい
世界にはユダヤ人だけが救われると考えたり
キリスト教徒だけが天国に行けるとか
イスラム教徒だけが幸せになれるとか
それぞれの宗教の一部だけではあるが
考える人達もいるように
日本人だけが優良で幸せになるべきで死後も救済されるべきだと考える日本人もいるようだ
もう少し考えの深い保守も革新もかつてはあったのだろうが
いまはそのような議論は少なくて
あからさまなプロパガンダに流されてしまうようだ
ワイマール憲法下のナチスの台頭と比較される状況である
現在の土俵でもまじめに志を正しく持って政治をすれば良い政治ができるのに
土俵が悪いと言い立てて
土俵を変えろと主張している
確かに、そのような戦略を採用するほうが
最小の経済力で最大の領土を確保するにはいいのかもしれないが
それは持続できずに
また元に戻るものなのだろう
地震が起こってプレートが元に戻るようなものだろう
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架空の物語があって
日本軍が1945年以前に核爆弾の製造に成功し
ナチスドイツと日本帝国が米英に勝利して
ヨーロッパと北アメリカ東半分はナチスドイツの領土
アジアの大半と北アメリカ西半分が日本帝国の領土となって
1945年に戦争が終了した後、占領統治が始まる
そんな仮定があって
その後のことをよく考えてみると
庶民の暮らしはあまり変わらないのではないかとの考えである
支配者が誰であるかが変化するだけ
支配される庶民はどちらにしても何も変わりはないというものだ