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「本というのは、実はコンピュータにも匹敵するすぐれた装置だと思っています。目次があり、見出しがあり、パッと開けば自分の読みたいページが出てくる。本自体が持っている使い勝手のよさは、コンピュータでもなかなかかなわない。これは人類が発明した装置の中では、最大のもののひとつだと思いますね。
じっくり読みたい時はゆっくりと読める。あるいは、この先どうなるかと心が急く時は、どんどんページを繰っていく。これは電子ブックにはないんです。『ページ風を立てる』という言い方がありますが、これは電子ブックではどうやってもできない。特に小説にいたっては、最初の1行から最後の1行に至る作品が作り出す時間の流れというものがあります。それは電子ブックだと見えないんですね。うまく言えないんですけど、全体が見通せないというんでしょうか・・・・・」
「生活の質を高めるということを考えると、いちばん確実で、手っとり早い方法は、本を読むことなんですね。本を読み始めると、どうしても音楽とか絵とか、彫刻とか演劇とか、人間がこれまで作り上げてきた文化のひろがり、蓄積に触れざるを得ない。人間は、自然の中で生きながらも、人間だけのものをつくってきた。それが本であり、音楽であり、演劇や美術である。いい悪いは別にして、人間の歴史総体が真心をこめてつくってきたもの、その最大のものが本なんです」
(井上ひさし「本の運命」)
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私が思うに、
本というものは
図書館全体の一部なんだと思う
独立して存在しているのではない
あの図書館のあの棚にある本
その本の中のどのあたりのページ
そういうイメージから、知識なり、思想なりの全体像が形成される
世界観というほど大げさに言わないまでも
知識の系統樹のようなものだ
神田神保町の古本屋の地図のようなものと考えてもいいと思う
そうした全体があって、個別の知識があり、
ときどきその知識の更新があったり追加があったりする
医学知識でよくわかると思うけれども
「これこれの項目を満たすものが、これこれ病です」
なんていう場合、
背景知識がたっぷりないと、
ぜんぶ当てはまるように見えてしまう
うっかりしていると、私はまさにその病気だ!と思ったりする
そのあたりを利用する商売人も少なくない
他人の商売の邪魔をするのは良くないと思っているので
この系統の話は避けるようにしている
簡単にいえばそれが診断の手がかりになりますが
いろいろと配慮すべき項目もあるんです
というあたりを頭のなかで考えている
それをすべて説明することも効率的ではないのでやめている
ネットで調べ物をする時代になって
便利になった面もあるし
人間の真の発達を阻害している面もあると思う
そこに書かれてあることや
そこに提示されている写真や映像の
意味付けとか価値判断を
かなり慎重にしないと
「自己責任」にされてしまう
世の中はそんなに不人情ではないと思うが
ネットの世界はかなり不人情だと感じている