辺野古<裁判所の和解を受け入れ

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安倍晋三首相が、辺野古についての裁判所の和解を受け入れるように決められたのは、良かった。
工事も中止するらしい。
一方で、辺野古が普天間返還への「唯一の選択肢」だという認識は、変わっていらっしゃらないのだそうである。
普天間を返還するために辺野古が「唯一の選択肢」というのは、論理学上の記述ではない。
たとえば、それは、複雑なパラメータのからむシステムの属性であって、「唯一」というのは論理ではなくて、しがらみや経緯、政治的配慮の結果であろう。
ところで、いわゆる「永田町」界隈の方々とお話していると、「選挙」のために、ある政治的イシューを隠したり、先延ばししたりといった戦略を、案外普通に、空気のように話されていることが多いので驚く。
そのような方便は、いわば常識になっているようなのである。
たとえば、消費税の税率上げは、選挙後にした方がいいとか、安保法案や改憲などの政治的イシューも「隠して」、とにかく選挙で多数を得た後で後出しジャンケンのようにやればいい、みたいな話を、永田町ではみな「常識」として話していたりする。
今回の、辺野古に関する裁判所の和解案の受け入れも、メディアの報道にもあるように、沖縄県議選や参議院選(ひょっとすると同日選)に向けた、政治的な配慮である、と永田町では受け止められているようだ。
その意味で、安倍首相はうまくやっていらっしゃる、ということだろう。
永田町的には、辺野古の工事を進めて衝突や逮捕者が出るよりも、和解案を受け入れてていねいにやっているという印象を演出しつつ、沖縄県議選や参議院選(ないしは同日選)を済ませたら、従来どおり「粛々」と辺野古移設を進める、というのが、うまいやり方、知恵と受け止められているのだろう。
ところで、政治家の振る舞いとしては、そのような方便が良いとして、選挙で投票する有権者としては、毎回そんなことで良いのだろうか? 
中国の故事に「朝三暮四」という言葉があるが、毎回「騙される」のは、「猿」並みだということになりかねない。
人間の脳は、案外刹那的で、「朝三暮四」的に騙されてしまうのはむしろ通例で、永田町の方々は、そこをリアリストとしてとらえて選挙で勝とうとされるわけである。
それで毎回騙される有権者も、どうなのかなあ、と私は感じる。
人間は、どうしたらもう少し賢くなるのか。
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