「ことばの贈りもの」-3

どんなに小さいことでもいつでも連絡してね。気が向いたときでいいよことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん少しだけ元気が出た時に、友人と話しをして、いつも暇で、いろんなことを考えてしまうことを言いました。その時に友人が行ってくれた言葉です広島県 匿名 さん ( 33 女性 )

あなたが悪いんじゃなくて、あなたはとってもやさしい心を私達にくれているんだよ。ことばをくれた相手:その他 ことばを掛けられた人:患者さん介護の仕事をしていて、利用者なんですが…精神的に参ってしまい…一人の方に相談をしたら親身になって話を聞いてくれてそして…私が相談に乗るから大丈夫だよ!!何かあったら言って上の人に言うからといってくれました。茨城県 桜の雫 さん ( 21 女性 )

焦らないで!! ゆっくりゆっくりだよ!! 今までがんばり過ぎた分の 神様がくれたお休みだよ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病を発病した頃から 友人たちが言ってくれていましたが、発病して3年位過ぎた頃 なかなか良くならないいらだちと今までのように物事を出来ない怒りがつのり、入院するまでに至りました。普通なら言う事を聞かない私に腹立つのでしょうが、同じようにいつもいつも根気よく言葉をかけてくれました。 そのうちに 「急ぐだけが人生じゃない」と思い始め、自分の心とじっくり向かい合うことができるようになり、ゆっくりでも ビリでもゴールまでたどり着くことができれば上出来!!とおもえるようになりました。 今は少しずつハードルを越えてゴールを目指しています。 友人たちに感謝!!青森県 匿名 さん ( 51 女性 )

一人でかかえこまなくていいよ ゆっくりでいいから一緒にがんばろうことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私が何もかもが嫌になり一人で塞ぎこんでたとき母がそういってくれた 少しだけだけど気が楽になった福岡県 ちいちゃん さん ( 18 女性 )

ひとりじゃないよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん母が亡くなって姉妹だけになったけど妹が結婚する時に書いてくれた手紙の中の言葉です。一人暮らしをすることになった私に家族が増えるのだから寂しくないよと意味を込めて書いてくれました。兵庫県 なおぶぅ さん ( 40 女性 )

よくあることだよことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんうつで休職中のことが近所で話題になったこと。うつなど誰でも発症する病気なので気にすることではない、という趣旨。岐阜県 匿名 さん ( 39 男性 )

頑張って生きていることに拍手を送りますことばをくれた相手:学生時代の恩師 ことばを掛けられた人:患者さんそれは11年に及ぶ未完成婚から始まった。実家に逃げ帰った私を熨斗をつけて婚家に戻した親兄弟とは音信不通となった。ストレス性の喘息を悪化させて、心身の危機を覚えようやく離婚した。さらに8年後、火事で実家が全焼し祖母が焼死しても、今さら弱った両親を慰める気持ちになれない私は3日間行方不明となった。この火事がきっかけで、私はうつ病を病むのである。苦しくて、心療内科の通院、カウンセリングで何とか持ち堪えていたようなものだった。1年後ぐらいから、第三者に話したいという欲求が芽生えてきた。せめて親族にと叔母に話してみると、やはり私の親兄弟が狂っているという判断をしてくれた。学生時代の恩師にも話した。子供が産めずにつらかったこと、転職により好きな仕事ができていることも。お前には生活力があったんだと言ってもらえ、その年の年賀状に、頑張って生きていることに拍手を送りますとあった。私は私、生き続けたのだ。茨城県 匿名 さん ( 47 女性 )

うつは、飛躍の前のかがみこみであって、有意義なものですよ...ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんうつを発症し、気分が落ち込んでいた時に、今年の干支の卯年にちなんで主治医が、「うつは飛躍の前のかがみこみであって、有意義なものですよ」と、声をかけて下さいました。 それまでは、うつ状態で過ごす辛い毎日は、無意味に疲れているだけであり、何もできない自分を責め続け、焦燥感でいっぱいでした。しかし、その言葉をいただき、今の自分に対する肯定間が芽生え、気持ちを大きくじっくり療養していこうと、心の余裕が生まれました。ちょっとした言葉で、これほど救われるなんて思いもしませんでした。暗闇の中にいて、光を...光のある方を導いて下さった忘れられない言葉です。福岡県 chika さん ( 36 女性 )

家なんかなくなったっていいじゃない。命があればことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん夫58才、私53才、子ども2人は独立 共働きで2人暮らし、病院には縁がない夫が体調をくずし、検査 検査の半年間の後、不治の難病と宣告を受けました。明るい性格の夫は前向きでしたが、私は家のローンがまだ残っており、老後資金の準備もこれからの段階だったので目の前が真っ暗になり、日々、仕事におわれながら変化していく夫の体を心配しつつ 自分自身が壊れていくのを感じていました。現実からのがれたい死んでしまいたい。幾つかの病院をめぐりながら「死にたい。殺して」と、病人の夫を困らせ、子供に心配をかけ、たどりついたのが心療内科でした。「重度のうつ」 1時間半すがる思いで、これまでのすべてを先生に聞いてもらいその中で「家なんかなくなたっていいじゃない。命があれば」 言われた言葉にハッとしました。夫、家、仕事、命、すべてを失いたくない。でもかなわない、そんな想いでもがいていた自分、薬を処方して頂き、その晩、3ヶ月ぶりに朝まで眠りました。無事夫を見送ることができ、以前より前向きになれました。夫が自分の性格を私にくれたのでしょう。あの言葉で私は大切な物が見えたのでした。先生には、まだお世話になっていますが、我家で夫に毎日手を合わせ語りかけます。「幸せをくれてありがとう」と。愛知県 えっちゃん さん ( 59 女性 )

私はあなたを必ず全力で守る 今辛いけれど必ず幸せの道とつながっていることばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん眠る事 食事をする事 生きていて当たり前の事ができない 深い闇夜に放り投げられて光が見えない 話しかけられても話したくない 横になりボーッとしている自分がいる 自分の体はここにある 心はここにあらず 霊魂解脱の様だ 誰かが呼んでいる このロープをしっかり持っていなさい 何も話さなくても 何もしなくても ただじっとしていればいいんだから このロープだけをしっかりにぎりしめてさえいれば 大丈夫よ 絶対 助け出すから 全力で助けている最中だから と 母の声が遠くで聞こえる 空を見てごらん 雲があるでしょう この空は大きいのよ 喜びの人 悲しみの人を 空は見守っているのよ この空は外国とつながっているの いまある事はちっぽけな事よ と母は言う神奈川県 匿名 さん ( 52 女性 )

大丈夫。治るからね。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん24才でうつ病になり自殺未遂をくり返していました。5年程通ったクリニックは患者が多く、5分と話を聞いてもらえませんでした。カウンセリングも受け、ずいぶん生きやすくなっては、自殺未遂のくり返しでした。結局、私は助かり、周りの人々に迷惑をかけました。このままではいけないと思い、入院し、話を聞いてくれるという友人のすすめて、病院を変えました。60代のドクターは、辛くて辛くて泣いてしまっている私に、あたたかい声で「大丈夫。治るからね」と言ってくれました。病み始めて6年目でした。今まで誰も言ってくれなかった言葉に、ものすごく救われました。そのドクターと2年。私は完治しました。30分、みっちり私の話を聞いてくれるドクターでした。新潟県 ゆきうさ さん ( 33 女性 )

2、3年遅れたっていいじゃない。人生90年なんだから。ことばをくれた相手:親戚の叔母さん ことばを掛けられた人:患者さんうつ病になって、仕事を退職し実家に帰った時、引きこもりがちだった私に親戚の叔母さんが言ってくれました。当時の私は病気のせいか、社会からの疎外感が強く、社会復帰したくても焦るばかりで自分を否定してばかりでした。そんな私を察してくれたかどうかは定かではありませんが、帰り際に部屋を訪れてくれ声をかけてくれました。鹿児島県 うめんかじん さん ( 32 女性 )

まだまだ何度だってやり直せることばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん希望の専門学校に入ったのですが、仕事との両立で体も気持ちもついていかず、うつになってしまい家にいた時、泣いている私に母が言ってくれた言葉です。今でも迷った時に必ず思い浮かぶ言葉です。愛知県 匿名 さん ( 34 女性 )

頑張らなくてもいい、貴方は貴方だから。世界で一人の大切な存在です。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん恋愛で悩んでいた時に友人から言われた励ましの言葉です。何気ない一言で心から救われたような気がしています。青森県 たかちゃん さん ( 32 女性 )

お前には俺がいるんだから。ちゃんと話して。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん仕事や人間関係に悩んで、つい泣いてしまっていた時。寝ていた旦那が気づいて起きてきて、ぎゅっと抱きしめてそう言ってくれました。ふっと肩の荷が降りた感じがして、安心してまた泣いてしまったけど、私の支えになってくれました。宮崎県 匿名 さん ( 25 女性 )

うまくいくといいね…ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族今年の5月のある朝の事でした。突然「行きたくない…」 と主人が布団から出てこないまま言ったのです。それから4ヶ月になりますが、精神医療センターで診察していただき、又、保健所が主催する“リターンワーク”という復職の為のサークルにも参加させて頂き光が見えてきました。リターンワークが最終になるころ参加者(患者)が自分の仕事に近い形で発表がありました。主人には「うまくいくといいね…」と声を掛けました。今まで何気なく「頑張ってね」と言い続けていた気がします。うつになった主人に“ことばの贈りもの”…って何だろう…どんな言葉が回復する助けになったのだろう…と振り返りましたが「うまくいくといいね…」この言葉意外に思い当たりませんでした。あとは回りにいる家族があたたかく見守るだけなのかな… と思っています。長崎県 匿名 さん ( – 女性 )

がんばらなくていいよことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族うつっぽくなったとき北海道 匿名 さん ( 26 男性 )

さくらがいなくなってしまったら、一緒に頑張ってきた私はどうすればいいの?ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん新年度。病院まで通う車窓からは、満開の桜。自分が生まれた病院が見え、名前の由来になった桜も見えた。こんなに幸せで「いのち」に感謝しそうな場面が揃って私は、なぜだか急に悲しくなり、つらくて涙が溢れてきてしまいました。春の華やぐ物事一つひとつが私を責め、追い込んでいったのです。その時「年度末は一年で自殺者が最多の日」というニュースが頭をよぎり「四月一日を迎えることがこんなに辛いとは思わなかった。どうして私は生き延びてしまったんだろう。私も年度末にいのちを終えていれば…」と、絶望的な気分になりました。ホームに滑り込んでくる電車が怖い。メールで異変に気づいた親友が電話で私の話を聴き、どんなに私が今まで頑張ってきたかを話してくれました。そのときの言葉です。目を閉じると沢山の顔。つらさを一緒に背負ってくれている友がいる。感謝と悲しみに泣きながら私は病院に行き、無事に家に帰ることができました。神奈川県 さくら さん ( 27 女性 )

ゆっくり、ゆっくり、大丈夫だよ。いつでも戻ってきなさい。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん父親にもらった言葉です。わたしはうつになって10年になりますが、発症から4年経って念願の一人暮らしを始めました。入院も何度か経験し、家に戻りたくなることが何度もありましたがそれを言わずとも父親がいつもこの言葉を語りかけてくれました。時にはメールで、時には電話で、そして手を握りながら。温かい父の手がどんな薬よりも心に効いたのを今でも実感しています。その後、実家に戻ることなく結婚いたしました。今では父の秘書として恩返しをするべく働いています。秋田県 匿名 さん ( 24 女性 )

何が悪いのですか?あなたは何も悪くないのです。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん私はハッと気づき、窮屈になっていた心の固い氷が解けていく様な感じがして、涙となって溢れてきたのです。人前で泣けなかった私が、初めておいおいと医師の前で泣きました。一生懸命生きて来た私はどこも悪くなかったのです。小さい頃から家庭環境は良くありませんでした。何かしてもしなくても常に怒られていました。時には暴力もありました。「私が悪いからいけないんだ。もっと頑張らなくては!」といつも自分に言い続け、勉強やスポーツと自ら進んで参加し数え切れないほどの賞を頂き、新聞にも載り地域の有名人でした。それでも怒られる日々でした。社会に出ても同じことが言えます。入社してすぐに何でもこなし成績もトップになりました。同僚も周りも沢山褒めてくれる一方で、私は満足していません。過去の上司に起こられたことを思い出し、「あのミスがなければもっと結果があった。ミスした自分が悪い。」その後、何をするにも自分が悪いからと思っていたら、知らないうちにやる気も無くなり何もかも止まり、辛くなりました。友人に相談しても気の持ちようと言います。そうです、心の病気になった私はとうとう病院へ行きました。千葉県 クマ さん ( 33 女性 )

スランプ気味のようですね。でも、ぶっちゃけウチはホッとしてますよ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:ご家族福岡県 わたやん さん ( 37 女性 )

あなたが悪いのではなく病気が悪いのですことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:ご家族主人がうつで”みんなに迷惑をかけて申し訳ない”という事を、担当医に言った時の言葉です。私もそう思うのですが、寝ているだけの状態をみていると、イライラしたり、がっかりしたりしてしまうので、この言葉を忘れない様に心掛ける様にしています。埼玉県 匿名 さん ( 54 女性 )

困ったことがあったら、いつでもメールしてください。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:ご家族息子の復職の道すじも見えず、どこに相談していいかもわからず、やっとMDAのことを知り、初めて参加したとき、スタッフの方がアドレスを教えてくださり、お礼のメールを差し上げたところ、このような返信をいただき、とても心強く思いました。私たちは相談相手がほとんどおらず、公的機関に電話してもなかなか思うような助言は受けられません。そんなとき、いただいたこの言葉はとても嬉しかったです。栃木県 匿名 さん ( 53 女性 )

ぼくもとってもお世話になったので、ぜひ会いに行きます。ことばをくれた相手:息子の友人 ことばを掛けられた人:ご家族息子がうつにかかり、どう説得しても病院に行こうとせず、「どうせ治らない、自分なんか社会のゴミだからもういいよ。」とくり返すばかり。途方に暮れ、学生時代、仲の良かった彼を本人には知らせず、勤務する会社に電話したところ、電話に出てくれ、事情をわかって言葉をいただきました。彼は遠く、青森市に住み、妻との離婚調停の最中、東京出張のついでに神奈川県に住む息子を訪ねてくれました。彼自身もうつ病になり、薬を服用したころで良くなったから、是非病院に行く様にと説得してくれました。翌日、すぐに病院に行きましたが、回復への道のりは遠く、睡眠障害、落ち込みが波のように寄せてはかえし、仕事への希望は未だにほど遠いものがあります。何か今日一日の楽しかったことを見つけ、良かったねと声をかけることが精一杯の毎日です。彼が会いに来てくれなかったら、どうなっていたかを今でも感謝しております。静岡県 匿名 さん ( 72 女性 )

私達は何もできないよ。つかず離れずやっていくしかないもの。いつも良くなるのを待つしかないよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族病院が良くなったり悪くなったりを何年もくり返す息子を観ていて、どう対処してよいかわからず、焦りを感じていた私に妻が言ってくれた言葉です。肩に入っていた力が何となく抜けた感じがしました。腰を落ちつけて、息子に親の不安感、心配を感じさせず、息子の病気と付き合っていこうと思うようになりました。何よりも私自身を落ち着かせてくれる言葉でした。千葉県 匿名 さん ( 67 男性 )

お父さんはデーンと構えていればいいんだよことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族家内がうつ病だと診断され、休職に入ったばかりの頃、それまで反抗期でろくに口もきかなかった高一の娘がかけてくれた言葉です。独学とはいえ、心理学などを勉強してきた家内に対して、初期の頃、どう接したものか悩んだものでしたが、この一言ですごく気が楽になり、その後は極々普通に接することができた気がします。些細なことで激昂することも、少なくとも家にいる間はかなり減ってきましたし、あまりに普通なので時々本当に病気なのか?と思うようにもなりました。以降、現在に至るまで家内に対して何かを積極的に働きかけたことはほとんどありませんが、少しでも様子がおかしいときは、さりげなくフォローしてくれる長女の姿がなんとも頼もしく、うれしく感じたものです。東京都 匿名 さん ( 47 男性 )

Piano Piano(イタリア語でゆっくりやろうよ)ことばをくれた相手:会社の上司 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病から復帰した際、会社の上司から頂いた言葉です。Piano Pianpはイタリア語で「ゆっくりやろうよ」といった意味でイタリアではよく使われるらしいです。復職した際、どうしても失敗は許されない、「やらねばならぬ」という嗜好になっていて焦って苦しくなっていた状況の時に、この言葉をもらってとても楽になりました。今再発して休んでいますが、この言葉をくれた上司のもとで再び働きたいなぁと思っています。ただそうしても焦ってしまいがちで”Piano Piano”を自分に言い聞かせて日々の小さな楽しみに目を向けながら、人生を楽しみたいと思います。東京都 匿名 さん ( 30 男性 )

あなたもご苦労されているのに、私達に心遣いしていただき、ありがとうございます。お大事にしてください。ことばをくれた相手:会社の同僚 ことばを掛けられた人:患者さん復職後、周囲は忙しいのに自分は十分な戦力になれなかった。そのような中で年齢(50歳過ぎ)と経験を活かし、若手の実務研修を企画・実施して資格取得者を多数輩出させた。また、周囲が特に多忙な時は自ら手伝う旨申し出る、差し入れを入れる、声かけをすることに努めた。そのような背景で、自分の存在・行動が認知され、感謝されていることを認識し嬉しくなった。孤立感も消えた。東京都 若づくり さん ( 52 男性 )

うつ病は薄皮をはぐように治っていくもの。何年か経って振り返れば、今よりきっと良くなっているはずです。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さんうつ病に罹ってから3年くらい経ったときのこと。症状は一進一退、「一体、うつ病は治るものなのでしょうか」お尋ねた時に、主治医からもらった言葉です。その後、3年ときに症状が悪化し、何をやってもだめ、人生お先真っ暗、落りてしまおうか、と思ったこともありました。しかしそのつど一番ひどかったときの頃、頭の中を悪魔がかけめぐり、眠ることも起きる事もできず、トイレに行くこともできず、食べることもできず、なまあくびばかりが出て、入院の憂き目にあったときを思い出し、あのときよりは今はまだましだと自分に言い聞かせました。「冬は続かず、春は必ず来る」はウソではありませんでした。一歩前進二歩後退と思えたのが、いつの間にか二歩前進一歩後退の状態になっていったのでした。いまでは、ついうっかり薬を飲むのを忘れてしまうほどに回復しました。東京都 K.M さん ( 57 男性 )

正直、貴方ほど自分について自覚出来てる人も珍しいと思うよ。そして、それほど真剣に考えている人も。ことばをくれた相手:インターネットの質問サイト ことばを掛けられた人:患者さん2010年6月に中度鬱病と自律神経失調の診断を受け、6月-8月の3カ月休職。現在は週30時間の短縮勤務。周囲からは、「他人の気持ちだけでなく、自分の感情の機微さえ理解していない」と言われる。そうしたなかで、“病気”の体験発表&パフォーマンスイベント「こわれ者の祭典」に参加した。そこで、強迫行為+適応障害や摂食障害+引きこもりの出演者が、自身の体験や今の思いを込めた詩の朗読を行った。その朗読を聞いているうちに、だんだん気分が悪くなって、途中で離席してしまった。詩の朗読で気分が悪くなったのは、自分が自覚していない感情などを掘り起こされた結果かもしれない。自助グループに参加して、他の患者の話を聴けば、今回と同様に気分が悪くなるかもしれない。しかし、その無自覚な感情を捉え、向き合い、乗り越えていかなければ、鬱病の根本治療は不可能ではないか。そう思って、自助グループの参加の是非をインターネットの質問サイトで質問したところ、この言葉をいただいた。東京都 匿名 さん ( 29 男性 )

この子はあなたのために生まれてきたのだから、焦らなくても良いからこの子のためにもよくなってね。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さんうつからの復職後、坑うつ薬を飲みながらも仕事を続けていた。当時も仕事が忙しく、うつ症状が出てきた頃に、待望の長男が誕生した。その後あいにく再発してしまい休職したのだが、希死念慮があったような時に妻が私に言ったのがこの言葉で「この子のためにも死ぬことだけはダメだ」と自殺を思いとどまった神奈川県 匿名 さん ( 37 男性 )

ゆっくり前を向いていこうねことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん母親と父親が考えて、2度目の入院から帰ってきたときに言われた言葉です。再就職しては退職するの繰り返しに自分自身どうしていいかわからず、退院しても薬や開放感で気分の高揚はありましたが、不安感はずっと持ち続けていました。焦燥感も強かった様に感じます。そんな時、掛けてもらったこの言葉に思わず涙が出ました。仕事を辞めてしまうと、築き上げた人間関係は一瞬にしてなくなってしまいます(仕事上の人間関係)。そんな中、親に言われたこの一言には、背景には最初から忙がずに就職をしていくんだよとの意味が込められている様に感じました。千葉県 匿名 さん ( 37 男性 )

今は休む時です。休みなさい。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん思考がまとまらず、「やらなくては」と「もう無理」の間を行ったり来たりしていた頃、やっとの思いで転がり込んだ病院で、今の主治医からかけていただいた言葉です。当時、責任範囲の変化と、社内ルールの強化についていけず、自分でも「どこか調子がおかしい」と思う状態が続いていました。思考が出来なくなったり、頭を絞めつけられるような感じがあったり、「うまく事故にまきこまれないかな」と考えてたり。自分でも不調に気付いていたので、心療内科への受診を試みましたが、「初診受付は数カ月先」という所の多さに、次第に億劫に。ついに、にっちもさっちもいかなくなり、(当時は薬だけですぐ良くなるものだと思っていたため)たまたま今の病院に行きつきました。そこで出た結果は「うつによる休職推奨」。私はそれに応じることが出来なかった。その時に言われた強い言葉です。当時はショックで何も考えられなくなりましたが、今となっては休むこと、休んで自分を見直すことが大切だということがわかりました。この言葉を選んだのもそのためです。東京都 ひつじ さん ( 35 男性 )

ここからまた始めていこうことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さんうつの急性期が過ぎ、回復期に入ってきた頃、ふと自分の周りを見回すと、色々なものが自分から失われている事に気付いた。それを気付かされたとき、自分の感覚としては全てをなくしてしまったような気持ちになり、自殺したい気分とはこのようなものなのかな、生きていても仕方がないのかな、という空虚な気持を味わった。そこから、またなんとか動いていこう、という気持ちに回復したときに、その自分の気持ちを後押ししてくれた言葉。この言葉によって自分の気持ちが承認されたような気分になった。埼玉県 匿名 さん ( 30 男性 )

娘が大学入ったらどうにかなるから、それまでがんばろうことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん娘が現在高校3年で大学受験準備中。学資保険も有り(先日払い終えた)学費は何とかなる。仮に症状の為、復職に時間がかかっても、給料が下がっても、最後は家を売ってローンを返してダウンサイジングすれば妻のパート分と合わせれば食っていけると妻から言われ、ホッとする。東京都 なかさん さん ( 49 男性 )

一緒に行ってあげるよことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん一人暮らしの母が入院した。心の病気をかかえている母は隣人とトラブルをかかえていた。私が代わりに交渉することとなった。兄は知らんふりで不安であった。隣人と母の共通の知人が、自分がパーキンソン病で身体が不自由にも関わらず、一緒に交渉に立ち会ってくれると言った時の言葉。トラブルは解決していないが、私の心は救われた気分になった。東京都 ひひさん さん ( 49 男性 )

あなたのことは絶対的に信頼しているから、何も心配していない。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さんAさんとは札幌勤務時代以来15年以上の友人。最後に会ったのはもう10年近く前かもしれない。札幌時代は毎日のように、わいわいがやがややっていた友人達の一人。私は10年以上も前に札幌を離れ、その後、留学したり、転職したりと彼女との連絡がとぎれた期間も何度もあった。そして、その度に彼女は自分との関係を再構築してくれた。そして私はうつになり、彼女を含め、全ての友人との連絡を断った。全ての友人関係を失ったと思っていた。しかし、回復期にある今、彼女はまたも私に手を差しのべてくれた。失ったと思われた多くの友人と共に彼女が私にかけてくれた言葉がこの言葉。千葉県 2号 さん ( 40 男性 )

やり遂げられなかったけど、あなたなりに精一杯やったよねことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん今年3月、あと一週間で契約期間満了となる派遣社員の仕事を種々のストレスが重なったことから、欠勤退職してしまった。その後、自信を喪失しうつを再発してしまった自分に、契約期間までは休まず働くと約束したことを守れなかったことを妻に詫びたら、大変な仕事を今まで数年間の内では一番長く続けて働けたことを認めてくれ、落ち込んだ気持ちが救われた。神奈川県 匿名 さん ( 51 男性 )

もし、会社を辞めたとしても生きていける!ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん友人というか、学生時代の先輩から、(その先輩もうつ病になり働いていた会社を辞められた)久しぶりに話をし、今の状況等(お互い)話していたところ、自分(先輩)も同じように、色々苦しみ、会社、家族の話をして、「自分自身健康なら、何とかなるさ」と言われ、体の力が少し(スゥーと)抜けた感じがした。東京都 クロ さん ( 48 男性 )

貴女は前会った時よりも元気そうよ。大丈夫よ。ことばをくれた相手:友人 ことばを掛けられた人:患者さん私は現在50代の女性患者で、11年程、長男の発達障害、次男の家庭内暴力が原因で鬱病を患っております。20代前半に3年程一緒に暮らした、姉妹以上に親しい友人がずっと優しく見守ってくれております。彼女は半年に一度程、会う度ごとに、「貴女は前会った時よりも元気そうよ。大丈夫よ。」と言ってくれます。思い返せば、そんなに良くない時も絶えずそう言い続け、それを聞くと「もしかして良くなっているのかな」と少しほっとします。薬が減った頃のある日、「この前会った時には手が震えていたけど、今日は震えてないわね。本当に良くなって嬉しい。」と言われました。自分では手の震えに気付いていましたが、人に解る程とは思わず、彼女が気づいていても、その時には何も言わず、彼女らしい方法で私に接してくれていたんだと気付きました。長期に渡りその様な彼女なりの励ましを受けている事に感謝し、応募する事にしました。千葉県 R.O. さん ( 57 女性 )

無理しなくていいんだよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん「お仕事休みますか?」初診時に医師から言われた時は、ショックでした。看護師として働いていていた自分が、まさか休職が必要な状態だとは思わなかったからです。結局1ヶ月休職をすることになりました。しかし、家族にどう言おうか悩みました。なぜなら、家族は私が看護師になったこと・大規模病院で働いていることに喜んでいたからです。家族の気持ちを考えると、病名までは打ち明けられませんでした。でも、家族はそれに対し追及することなく、ただただ私を受け止めてくれました。そのとき「無理しなくていい」と声をかけられ、肩の荷が一気に下りた気持ちになりました。その後さらに2ヶ月の休職期間を経て、復職し1年半経ちました。いまだに家族に病名は伝えられてませんが、家族と通じあえていることが、今の私の原動力です。群馬県 匿名 さん ( 27 女性 )

でられない家からでられないとき、「食べたいものなに?」ときいてくれた。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さんふさぎこんでなにもできない自分が部屋にひきこもっているときにおいしいものをもってきていくれた母。愛知県 さやらっこ さん ( 29 男性 )

大丈夫だよ、私はわかっているから普通にしてればいいよ。お母さんは間違ってないから。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は10年程前にパニック障害になり、それから自分ではわからないうちに「うつ病」も発症していた様です。友達関係、仕事、がんばればがんばる程おかしくなっていき、何もかもうまくいかず、でも仕事をしなければ生活もできない。外では笑って明るい振りをして、結局それがとても辛くて最後は逃げてしまう、その繰り返しでした。昔から責任感が強く、それだけに仕事でも間違った事やいいかげんな事をしている人を許せなくて「私が、私が」とやり過ぎて、家に帰るとクタクタ・・・でも充実感もなく疲れきっていた私に娘が一言 ポツンと言ってくれた言葉です。普通と間違っていないという言葉が本当にうれしく勇気が出ました。今もうつとパニック障害とむき合っての生活ですが娘は私の理解者であり、力です。愛知県 パン君のママ さん ( 56 女性 )

まず人を信じることから始めよう。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん「自分が嫌い、自分のことが嫌いな自分はもっと嫌い」だと思っていた。もうその時には「うつ」病の症状がでていました。「汝のごとく人を愛せ」それが社会人として大切である話をしてくださいました。自分のことが愛せない人が人を信じたり、仕事を大切なことができないということでした。もちろん、結婚も同じことだと言ってくださいました。障害の人との係わりの中で自分を愛することを、障害のある人との関係の中で大切であることを学びました。うつ病という人が信じられなくなることからその時の自分も、言葉を思いだし気持ちをやわらげることができました。愛知県 匿名 さん ( 42 男性 )

絶対によくなる。大丈夫みんな味方だよ。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は今現在26歳で高校生の時にうつ病になりました。その後薬などまわりの支えもあり無事に完治することができました。その時にはもう絶対になりたくないと思うと同時に健康でごく普通に生活できることがどれほど幸せな事かを改めて知る事ができました。そして今現在私はうつ病とはまた少し違いますが強迫観念という病気になってしまい苦しい毎日を送っています。自分の両親、そして夫、みんなが心配している事はよく分かります。しかし姉だけはいつも冷たい言葉や態度で私の事を見てきます。ある時姉が私に「毎日、食べて寝て食べて寝て」の生活で毎日楽しいか?!と言ってきたのです。楽しいわけない。治せるものなら今すぐにでも治したい。と今まで私の中にたまっていたものが爆発してしまい姉に今言った事を謝ってほしいと言い姉との話が始まりました。そして話をしているうちに姉が涙を流しながら「お前を見ていると去年の自分を見ているみたいだ」と泣きながら私に訴えてきたのです。姉も心の病で苦しんでいたのです。姉は私にこう言いました。「私は誰にも言えず一人で苦しんでいた。でもお前には夫もいるし話を聞いてもらえる人がたくさんいる」と。そして苦しい気持ちはよく分かるとこの病気はなった事がある人しか分からないし、理解しづらい病気です。でも姉が言ってくれた言葉に少し助けられました。ありがとう!愛知県 匿名 さん ( 26 女性 )

いないと困るからね。頼りにしているよ。ありがとう。ご苦労さま。良かった間に合った。私の退職より、うつ病が治ったことの方が私は嬉しいですよ。きょうはどうですか?いいかんじですねえ。ここまでくれば十分ですよ。焦ることはありません。私の方が元気をもらいました。自分の行動が変なことが自分で分かっているのなら安心してください。大丈夫です。ことばをくれた相手:たくさん ことばを掛けられた人:患者さん「そう、うつ病だったんだ」妻の一言。その時から私のうつ病生活が始まり、後に自宅療養とリハビリ出社を繰り返して退職。そして、いま、当初から「特別扱いされない」過ごし易い部屋で、うつ病の「診断」がなくなるのを待っています。神奈川県 絵夢 さん ( – 男性 )

時間がかかるけれども必ず治るから。大丈夫だから少しずつ治そうね。希望を持って、あきらめないで。ことばをくれた相手:たくさん ことばを掛けられた人:患者さん私は5~6年前に急に眠れなくなり、それが20日間連続で不眠が続きました。なんだか朝もしんどくて何もできない状態が続き、主人と私で病院を探して、今も通院している病院に行き診察の結果、うつ病と判断され薬を飲み始めました。なかなか良くならなくて寝たきり状態になり、家事もできなくなりました。でも娘がいて家事をしてくれてすごく楽になりました。でもしばらくそんな日々が続いていくと自分を責めるようになり、なぜ家事もできないし買い物もおっくうになりテレビを見なくなりました。そんな絶望感の中で暮らしていって不眠もあり、しんどくて大変でした。友達から、必ず良くなるからあきらめないでとか、希望を持って生きていって欲しいとの言葉が、私をささえてくれました。原因は何なのか追究したけれどもなかなかみつかりませんでした。たまに主人をせめたりしたけれどもそれも良くないしやめとこうと思い、姉が運動をしたり散歩もいいよと教えてくれたので、できそうな日は散歩を始めました。今は5ヶ月間ぐらい元気で楽しく過ごせるようになり、ぐっすり眠れるようになり、6時半には起き主人と娘の弁当もつくれるようになり、テレビも楽しくなりました。でもしんどかった事は、何もできなかった自分を責めたのがつらかったです。大阪府 匿名 さん ( 47 女性 )

今の自分を鏡に映してごらん。昔を取り戻すためにも休養が必要だよことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん姑から何十年来の不満をぶちまけられた事と仕事へのストレスから、今までは普通に出来ていた仕事の手順が思い出せなくなり、仕事が遅れていた。遅れを埋めるために昼休みを返上して仕事をしていた。しあし、効率が悪く結局は周囲に迷惑をかけてしまった。家庭においても、家事もうまくできず一人では買い物にも出かけることができなくなっていた。性格が真面目であり、迷惑をかけてしまうことに大変こだわってしまい、色々な事を考えると全然眠ることができなかった。病院への受診も拒否していたが家族の説得もあり診察を受けた。そこで主治医から「万が一の事があった場合、後に残された家族の苦しみ・無念さを考えてみなさい。それこそ本当に迷惑となる。このまま帰らせては自分も責任がある。」と強く説得された。結果的には入院をしたことで、元の自分を取り戻せている。岡山県 匿名 さん ( 44 女性 )

うつ病はね、2年先、10年先に治るかなんてわからないんだよ。だから焦らずにゆっくり一緒に治していこう。ことばをくれた相手:恋人 ことばを掛けられた人:患者さん上の言葉は私が布団から出る事もできず、激しい頭痛や吐き気で泣いてばかりいた頃に、結婚を約束してくれている恋人がくれた言葉です。もしかして明日ぱっと治っちゃうかもしれない。そんな病気なら、誰も苦しんでなんていないよ。と諭されました。皆辛いんだ。いつ治るかもわからない暗いトンネルの中で、不安でいっぱいなんだと気付かされました。何もできなくていい、そばにいてくれるだけでいいんだよという言葉に涙を抑える事ができませんでした。何もできずに悔しくて悲しくて、情けない自分が許せなくて死んでしまいたいと毎日思っていました。ですが上記の言葉をかけられ、そうだ、焦っても仕方ない。ゆっくりとこの病気とつき合っていこうと少しだけ思えたのです。福岡県 もんたろべえ さん ( 27 女性 )

もう頑張らなくていいよ・・・ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん今から11年前、体調が悪くあちこちの病院で検査を受けましたが毎回、原因不明。でも私はうつ病の本を読みあさっていたから気付いていたんです「仮面うつ病」という事に・・・精神病とは認めたくない、でも誰か助けて!気持は葛藤してました。某センターで受診をした時、担当医が言ってくれた言葉です。人生と言っても過言ではない、全てにおいて手を抜く事が出来ず常に全力投球、もう心身共に限界でした。この言葉に救われ涙が止まりませんでした。埼玉県 Yumi さん ( 44 女性 )

治してあげる ひとりじゃないことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん何軒かの病院に行ったが、どこへ行っても様子を見ましょうと言われることが多く、治るのかどうかわからなかった。毎日が不安でたまらなかった。誰に相談してよいのかわからない時に、ひとりじゃないと勇気づけられて、不安なことが一つ減った。千葉県 匿名 さん ( 43 男性 )

うつは、がんばらない・あきらめない・必ず、治る。ことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん私の主治医の医療従事者さんは、す・て・きです。私の心と身体が、グレー色になってもオルゴールの曲に包まれて、水色+緑色+白の絵の具が入り、まるで「虹のかなた」へと連れて行ってくれます。病気のかけこみ寺として存在してくれます。”ことばの贈りものは、共感・同感する行為です”。医療従事者のきびきびした処置に対して”そうなんですよね” ”大変でしたね” ~と、心から 伝わる・ぬくもりが、あります。神奈川県 匿名 さん ( 63 女性 )

あなたに生きていて欲しいことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:ご家族現在32才の息子がうつと診断されたのは27才の頃です。会社に入社し3年目の頃でした。以来回復しては再発し初めの会社を辞め、一年間の自宅療養をへて新しい会社へ再就職もでき、3年位たったころまた再発。1ヶ月程休職しているとの連絡がありそれなら家に帰ってきたらとすすめ、6月に2週間程帰省しました。その時に私が息子に言ったのが、この言葉でした。うつ病=自殺という認識が私の中にはあります。息子も死にたいと思ったことがあると告白し、うつと診断された時に言っていました。再発ももう3回目でしたので、大変心配しましたので、父、母はあなたがどんな姿になろうとも生きていて欲しいと、真剣に伝えました。幸い今は配置替えになり九州へ転勤して生き生きと暮らしている息子。来年には地元へ事務所移転となる予定で、後は可愛いお嫁さんが来てくれればと願う日々です。熊本県 アニーのババ さん ( 58 女性 )

過去のあなたも今のあなたもあなた自身なんだ。だから自分自身を受けとめてあげなさい。ことばをくれた相手:家族 ことばを掛けられた人:患者さん私は、「うつ」である自分自身が許せないでいました。昔は家のそうじも料理も家庭の事はすべてカンペキにこなしていたつもりでした。それが、だんだんそうじができなくなり、料理をつくるのもおっくうになり…。しまいには、せっかく産まれてきてくれた子供に「ギャクタイ」までするようになって…。それを「おかしい」と思った主人がクリニックを探して連れて行ってくれました。「境界性人格障害」と診断された私は、子供達にしたこと、主人やまわりの人に迷惑をかけえたことを悔いて、何度も自殺を図りました。「自分なんかいなきゃいい。私がいるからまわりが迷惑するんだ」そうずっと思っていた時、主人に「この世にいなくていい人なんていない。どんな『自分』も受けとめていかなきゃいけないんだ。「自分のせいで」と思うんだったら「死」を選ぶのではなく「生きて、どうつぐなっていくか」を考えるんだよ」と言われ、ハッとしました。今では、子供達との信頼もとりもどし、明るく前向きに「自分」から逃げずに生きています。千葉県 松井 聡弥 さん ( 36 女性 )

一番つらいのは本人なんだよねことばをくれた相手:医療従事者 ことばを掛けられた人:患者さん両親の夫婦げんかに巻き込まれてうつになりました。家にいても居場所がなくて、病院のデイケアに通っていた頃、「薬なんで飲まなくてもいいんだ!」と父に怒られていることを看護師さんに打ち明けました。その時、この言葉をかけていただきました。家族は分かってくれなくても、医療従事者の方はきっとわかってくれている、という思いにずっと支えられています。この言葉を自分自身に語りかけていると、落ち着きます。また、医療従事者の方と心が通い合えたという体験が何よりうれしかったです。宮城県 Haruka さん ( 41 女性 )

2016-03-06 15:38