むかしむかしから日記療法はあり
西洋でも盛んに言われ
日本でも森田療法や内観療法などの方面では言われている
確かに日記療法がうまくいく場合もあるが
そんな人は多分、他の方法でもうまくいくのだろうと思う
治療者が治療として関わる場合には
実質毎日2時間程度、仮想的に治療者に語りかける形になるので
効用があるはずではある
ーー
私は時間遅延理論を提唱しているので
時間遅延日記を作ってみたいものだと思う
第一世界モデルが書く日記と第二世界モデルが書く日記の
詳細な差異を比較照合して明確にして訂正して最後には完全一致するまで
いやしかしそんなことをして何になるのだろう
シュールレアリストが自動書記システムを考えたものだ
それが第一世界日記に相当する
たとえば
あなたがみんなの前で何か言おうとしたけれども
一瞬先の未来を考えて
言葉を訂正して別の言葉を語る
これが成長ではないか
ーー
また私の知り合いの歯医者女医は
歯を削るなどとは予告しない
取りにくい歯垢があるから
とか何とか言って
表面麻酔をして
そのあと注射をして
あれ?と患者が思ったときにはすでに神経を抜いている
痛みをシミュレーションするから恐怖が発生する
日記というものは恐怖の延期であり持続であることが多い
そのような日記を書けというのではない
そのレベルの話ではない
体験を客観化して対象化する方法を
体得することが日記療法である
ーー
メンタライゼーション日記などもよさそうである
セルフというと静的な感じがするがメンタライゼーションといえば動的な感じがしていい
話者を変換する
主語を変換する
時制を変換するなど方法がありそうである
何を書くかではなくて
どのように書くかを方法として学ぶ
その事が精神療法になる
ーー
トランスパーソナル日記なら書いてみたいものだ
個に耽溺する日記は自己愛性格者にぴったりだけれど
そこをトランスしてみたいものでしょう
ーー
日記を治療者に見せる
これはすごいことだ
子供のプレイセラピーをしていると
4歳くらいの女の子が実に夢たくさんの様子で
お人形さんをお世話しているのであるが
それを治療者に見せる、見られるときの自分の姿を思い浮かべて演技する様子がありありと伝わり
それはそれで未来の大物ぶりを感じさせて怖い感じもする
4歳にしてすでに見せる女を演じているという複雑さ
もっとシンプルに生きろよ
いや、そのように見ているこちらが複雑なだけかもしれない
ーー
トルストイの例が有名であるが
日記は配偶者に見られたときにほぼ必ず傷を残す
現代ではなおさらである
なぜメールを消さないのか理解出来ない
自己に耽溺しているのである
日記を書くときは配偶者に見られた場合を考えて
いや必ず見られると覚悟して
配偶者が喜ぶように配慮することが第一である
本心を書くなどという破滅的なことをしてはいけない
配偶者を喜ばせるための物語である
という程度に割り切って欲しい
現実、そのようにしてのみ、配偶者と生活できる
見ない、かつ、見せない
ーー
日記を書くというのは
嘘つきで
自己愛的になる方法にほかならないのであるが
(たとえば太宰治の文章)
上手に嘘をつき
売れる自己愛を作ればそれはそれでいいのだ
(たとえば太宰治)
日記療法をして
治らなくても太宰治ができる
治れば凡人ができて核兵器と沖縄と自慰行為を描いて偉くなる
どっちがいいかな
土台、文学する人が偉くなるなんていうのが
もう、いやはや、である