“まずしてはいけないのは、子供と対等な目線に立つということだった。子供に目線を合わせようとすることだった。
子供というのは、この世の身も蓋もなさを大人以上によく分かっている。そこにはよりプリミティブな形での上下関係があって、彼らはそれをとても素直に受け入れている。
彼らにとって、人間関係とはまず上か下かのどちらかなのである。人間は平等だなどというややこしい感情はあまりない。だから、自分に目線を合わせようとする人間に対し、子供は警戒心を持つのだ。有り体に言うと、胡散臭さを感じる。
中でも取り分け良くないのは、話し方を合わせようとすることだ。よく赤ん坊に「あらぁ、どちたのでちゅかぁ、なにをちてるのかなぁ?」などと気持ち悪い話し方をする人がいるが、そういう人が赤ん坊に好かれているのを見たためしがない。赤ん坊は、まずそういう気持ち悪い話し方をする人を嫌う。赤ん坊は、もっと普通の話し方をする人が好きなのである。そういう気持ち悪い言葉じゃなく、「おいおい、どうしたんだ、何してんだよ?」と普通に話してくれる人の方が、ずっと好感が持てるのだ。
これは赤ん坊だけに当てはまるものではない。小学生だろうが中学生だろうが高校生だろうが、子供は子供の目線に合わせた話し方をする大人を嫌う。もっと普通に、その人が普段話している言葉遣いで話してくれる人の方を好む。それも、対等の立場ではなく、できれば上から目線で話してもらった方が落ち着く。胡散臭くない分、信用できる。
そこにはもちろん、毅然とした態度とか、確固たる自信とか、それを裏打ちする実力とか、経験とか、そういうものも必要だろうが、子供は何より大人には大人でいてほしいのだ。上なら上でちゃんと上であってほしいのである。その方がずっと落ち着くし、良い人間関係を築けるのだ。”