“アメリカ軍の兵士は、日記をつけることを禁じられていた。敵が日記を手に入れた時に、戦略的な情報を提供してしまう恐れがあったからである。しかし日本の
兵隊や水兵は、新年ごとに日記を支給され、日々の考えを書き留めることが務めとされていた。彼らは上官が日記を検閲することを知っていて、それは日記に記
された感想が十分に愛国的かどうか確かめるためだった。そのため兵士たちは、日本にいる間は日記のページを愛国的な常套句で埋めたものだった。しかし、自
分が乗船している隣の船が敵の潜水艦に沈められたり、南太平洋のどこかの島で自分が一人になってマラリアにでも罹れば、何も偽りを書くいわれはなかった。
日記の筆者は、自分が本当に感じたことを書いた。日本人の兵士の日記には、時たま最後のページに英語で伝言が記してあることがあった。伝
言は日記を発見したアメリカ人に宛てたもので、戦争が終わったら自分の日記を家族に届けてほしいと頼んでいた。禁じられていたことだが、私は兵士の家族に
手渡そうと思い、これらの日記を自分の机の中に隠した。しかし机は調べられ、日記は没収された。私にとって、これは痛恨の極みだった。私が本当に知り合った最初の日本人は、これらの日記の筆者たちだったのだ。もっとも、出会った時にはすでに皆死んでいたわけだが。(ドナルド・キーン)