外界に見る差異の全ては、心の作用の所産である

外界に見る差異の全ては、心の作用の所産である。
例えば、あなたは生まれてから一度も父親に会ったことがなく、
あなたが十歳の時、その父親が帰って来たとしよう。
彼がドアをノックする。
あなたがドアを開けると、そこに見るのはあなたの知らない顔だ。
あなたは母親のところへ走って行って、「お母さん、誰か知らない人が来ているよ」と言う。
彼女が出て来てみると、そこには長い間家を空けていた夫がいる。
彼女は大喜びで夫を迎え、「この人はあなたのお父さんよ」とあなたに紹介する。
あなたは「ああ、お父さん !!」と言う。
ついさっきまで彼は見知らぬ人だった、それが今やあなたのお父さんになった。
彼はお父さんに変わったのか ?。
いや、彼は同一人物だ。
あなたが先ず、「見知らぬ人」といあ想念を作り上げ、
次にそれを、「お父さん」に変えた、それだけのことである。
外界の全てが、あなたの思考 ( 想念 ) と心理的態度に基づいている。
世界は全て、あなた自身の投影物だ。
あなたの評価は瞬く間に変わる。
昨日は「恋人」だった人が、今日は「見るのも嫌」かも知れない。
このことを忘れずにいるならば、あなたは外的な事象にそれほど重きを置かなくなるだろう。
ヨガが外界の変革についてあまりこだわらないのはそのためだ。
サンスクリットの格言に「人は心なり。束縛あるいは解脱は汝自身の心中にあり」
( Mana eca manushyanam karanam bhandha mokshayoho) というのがある。
もし、あなたが束縛されていると感じるならばあなたは束縛されている。
もし、あなたが解放されていると感じるならば、あなたは解放されている。
外界の事物はあなたを束縛しもしないし、解放しもしない。
それは、あなたがそれらに向ける態度一つにかかっている。 
クリヤ・ヨガ