安倍晋三氏のランセット掲載記事
2015年12月12日号の国際医学ジャーナル『ランセット』に「安倍晋三」という署名で、「世界が平和でより健康であるために」と題する文章が掲載された。被ばく地域に住まわされ続けている人々や避難地から帰還させられつつある人々にとっては、期待の持てるメッセージと読むべきだろうか。
たとえば、次の点である。「日本は、『保健』を、人間の安全保障の中心的な要素と考えている」、「日本が国際保健分野で重要と考えているのは次の2点である。①公衆衛生危機に対応する体制を構築すること、②強靭で持続可能な保健システムの構築を、日本の経験と専門知識を活用することにより推進すること」「2016年のG7サミットを通じ、私はこれらの点の重要性を強調し、簡明で関連性の高い議論を促したい」。
外国政府に対して「強靭で持続可能な保健システムの構築」を要請する前に、被ばくによる健康被害に対応する「保健システム」の構築を2016年G7サミットまでにはするのだと期待したい。安倍氏は2013年にも「我が国の国際保健外交戦略—なぜ今重要か―」(注67)と、被ばく者である3.11後の私たちに期待を持たせる題名の記事を同じく『ランセット』に寄稿している。
「女性などを含めた脆弱層を含む国民全体の健康改善」を訴え、アフリカでの「保健分野に20万人の人材育成を含めた500億円を投入することを表明した」「我が国は、国際保健の研究開発のためのグローバルヘルス技術振興基金という新たな支援モデルを立ち上げた。新たな技術は、すべての人の健康に生かされるべきである。世界経済の持続可能な発展に貢献していくため、このような国際保健課題の解決に向けた諸外国への援助を、日本政府は民間セクターと共に取り組む」。
この「健康改善の取り組み」に日本の子どもたちや市民は入っているのだろうか。先に紹介した「世界原子力協会」のホームページには、「公衆を放射線源から守る4つの方法」として、「職業被ばくの場合、被ばくの時間を制限する」「放射線は放出源からの距離で減る」「ガンマ線は鉛、コンクリート、水などで防げる」「高濃度放射性物質は環境から隔離すること」である。原子力推進派にとっても、距離と時間で被ばくを防ぐことは常識なのだ。福島第一原発から毎時1000万ベクレルも永続的に降り注ぐ放射性物質から遠ざかることしか「健康を保つ」方法はないのだから、安倍氏が「保健システム」をおそまきながらでも構築して、G7サミットでリーダーシップを発揮してもらいたい。
『ランセット』掲載のアピール文書(2015年12月12日)に「私は日本国総理大臣である。利害衝突がないことを宣誓する(I am the Prime Minister of Japan. I declare no competing interests.)」と署名したのだから、原子力産業を守るために、被害住民を切り捨てることはしないと世界に誓ったことになる。 ーーーーーLancet 安倍総理寄稿(仮訳)我が国の国際保健外交戦略-なぜ今重要かー国際保健は岐路に立っている。これまでの約 10 年間、保健分野の援助額は増加し、新しい官民のパートナーシップが設立され、効果的な支援を実現した。輝ける 10 年間であった。日本は 2000 年の G8 九州沖縄サミットで議論を主導して、世界エイズ・結核・マラリア対策基金に大きく貢献してきた。しかし、疾病構造は大きく変化し、非感染性疾患は世界的脅威になりつつある。今後もこれまでと同じ疾患別の縦割りの援助を続ければ、疾病負荷と資金配分との不均衡が大きくなるだろう。疾患別アプローチはわかりやすいが、包括的な対策の必要性は明らかである。2008 年の G8 洞爺湖サミットにおいて、日本は疾患別アプローチを補完する保健システム強化をはじめとする包括的な取り組みを提唱した。武見敬三氏が主導した作業部会は、G8 保健専門家会合の具体的提言策定に貢献した。残念ながら、その後に起こった経済危機によって保健分野への援助を維持する事が困難になった。この国際保健の現状を前に、そしてポスト 2015 の開発課題の議論が本格化するにあたり、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を目指すことが必要である。UHC を目指すことは次の3つの目的の実現に役立つからだ。第一に、特に女性などを含めた脆弱層を含む国民全体の健康改善。ミレニアム開発目標(MDGs)は国内格差の是正に主眼をおいておらず、富裕層と貧困層間における保健医療サービスへの格差を是正することが重要である。第二に、疾患中心のアプローチから人間中心のアプローチに転換し、すべての人々の保健ニーズに応える。UHC は個々人の幅広い保健需要を満たす事ができる。これら二点は相互に関連し、個人の保護と能力強化を通じて、人間の安全保障を実現するものである。第三に、被援助国が自ら保健課題を検討し、限られた予算で多様化したニーズを満たす保健政策を実施する事である。UHC によって被援助国はオーナーシップを高め、効率的かつ効果的に政策及び予算の優先順位付けができるようになるであろう。しかし、UHC を目指す取組みは始まったばかりであり、強い政治的イニシアティブが必要である。そのため、私は本年5月、国際保健外交戦略を打ち出した。この戦略で第一に、私は UHC をポスト 2015 開発目標における保健の重要課題にすべく努力する。基盤は整いつつある。第 67 回国連総会では外交政策・国際保健イニシアティブ(FPGH)が主導した UHC の決議が採択された。私は、FPGH イニシアティブを主導する仏のオランド大統領と UHC を推進することで合意した。第二に、私は途上国と共に UHC を実現するため、日本の開発援助を強化する。UHC は保健分野の援助を減らすことにはならないし、未達成の MDGs への取組みを放置することでもない。
アフリカでは、MDGs への取り組みから UHC が始まる。第5回アフリカ開発会議(TICADⅤ)では、UHC の促進を呼びかけ、保健分野に 20 万人の人材育成を含めた 500 億円を投入することを表明した。ASEAN は、本年、日本との友好協力 40 周年を迎える。ASEAN は多様な課題が凝縮する国際保健分野の縮図であり、すべての人の健康のために保健医療関係者が共に取り組む機会を提示している。今後、UHC を効果的に推し進めるため、ASEAN との協力を深化させていきたい。日本の国際保健外交戦略は外交上の戦略環境の変化に対応するものである。21 世紀は、20世紀型のハードなパワーを背景にした政治力学を動かす力とともに、国際社会の共通問題を解決していく指導力が、重要になっている。スマートパワーの時代とも呼ばれる。日本はそれにふさわしい力と意志を持っている。日本は国民皆保険によって、医療格差を減らし、医療費抑制を実現した。日本での経験が示すように、UHC への投資は社会へ大きなリターンをもたらす。UHC を推し進めることで、国の発展段階に応じた国内の所得再分配を促し、社会の安定にも大きく寄与することが出来るであろう。我々の保健分野への努力はここでは終わらない。UHC 達成の先に、日本は今、健康的な長寿社会の実現に向けて戦略を進めている。日本は、公的介護保険制度を導入し、高齢者が地域の中でより自立して生活できるよう取組んでおり、高齢者の社会参加が推進されている。私は国を挙げて、そして必要に応じて規制緩和を通して研究開発を推進し、健康長寿産業の発展に取り組んでいく。このように官民が手を取り合い、寿命の伸びを上回る健康寿命の大きな伸びをもらたす事が、急速な超高齢化社会への処方箋となるであろう。ポスト 2015に向けた持続可能な開発の視点からも、世界規模の急速な高齢化を見過ごす事はできない。多くの貧困層が非感染症疾患と感染症疾患による二重の苦しみを受けており、新しい技術がこの解決に貢献している。我が国は、国際保健の研究開発のためのグローバルヘルス技術振興基金(GHIT)という新たな支援モデルを立ち上げた。新たな技術は、すべての人の健康に生かされるべきである。世界経済の持続可能な発展に貢献していくため、このような国際保健課題の解決に向けた諸外国への援助を、日本政府は民間セクターと共に取り組む。日本は岐路に立っている。2012 年、日本は問われた。一流国家たる意思はあるのか。私は今、強い意志を持って答える。当然だ。我が国は、責任ある成熟国家として、自らの経験に基づき国際社会が抱える課題解決に貢献する用意がある。国際保健外交はまさしく、我々のビジョンと意志を実現するための重要な戦略である。 (了) ーーーーーShinzo Abe, “Japan’s strategy for global health diplomacy: why it matters”, 14 September 2013,http://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(13)61639-6/abstract外務省が保存した原文のpdf版 http://www.mofa.go.jp/files/000014304.pdf外務省の日本語訳 http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000014804.pdf
2016-01-26 01:36