刑法に書いてある罪、
聖書に書いてある倫理的堕落、
それらについては気付くこともあるし裁くことも出来る
しかしよりマイルドでわかりにくくて微妙な、人道に対する罪を
敏感に感じることが出来るか
それが問題である
その被害者になった人は敏感に感じるし苦しんでいるのだ
しかしその場合の加害者はどうだろうか
刑法にも書いていない、聖書にも書いていない、
だから私は責められることはないという傲慢な心がないだろうか
それがこの社会だというなら醜悪である
刑法や民法のような世俗の法律にも、
聖書などの宗教書にも書かれていないような
他人の心を傷つける罪が存在するのだ
鈍感でいいわけがない
敏感では生きにくい
倫理感情は多く持っていた方が争いには負ける
不幸なことだ
長期的な進化論的淘汰は利他的行為の効用を説明するが
それは一人の人の人生を遙かに超える長い時間尺度で測定した場合であろう
倫理的人間が圧殺されるこの世界を
どう生きたらよいのだろう