愛の実践の難点と妥協点

"キリスト教的な愛を実践するときに
少し心に引っかかる点がある

本来であれば
目の前にいる人を助けたい、人類全般を助けたいと思って
行動するのが一番よい
それが神の愛に応える道である

しかしながら
目の前にいる人に失望することもあり
人類全般に失望することもある
その場合には
神との関係により行動する

人を愛するが故の行いと、神の愛に応えるための行いとは、
結果的には行為としては同じことなのだが
動機の点ではだいぶ違いがある

そして、実際の人間や人類全般に関しては
失望も可能性としてあるのだから不安定であるが、
神との関係で考えれば、安定している

神は外形的な行いを整えなさいと言っているのではなく
隣人に対して、同胞に対しての、心からの愛を要請しているのだと言うことは
理解している

しかしそれが無理である場合、
次善のこととして、神への愛に応えることを考えて行動を整えることで
充分に神の心への反応になっているのではないかと思う
"