中国人の「公共の範囲」

先週は中国の擡頭、ということを考えていたら、頭は中国文明にいってしまって、自然、「公共」ということについて考えることが多かった。
中国のひとが聞いたら怒るに決まっているが、「中国人はなぜウソをつくか」ということや「中国人はなぜルールを守らないか」ということは英語世界ではたびたび話題になる。
中国語に無茶苦茶熟達したひとびとによると、このふたつは同じ問題であって、
それは中国人の「公共の範囲」が西洋人に較べて狭いからだ、というふうに説明される。
血族と疑似血族の範囲にしか公共がない、というのね。
だから、(最近、特にかまびすしい)中国人の「知り合いを行列のなかの自分がいるところに招き入れて割り込ませる」というルールを当然だと考える。
会話においても血族以外の人間と話すということは「外部との戦い」の一部であるから、ウソもほんともあるもんけ、という理屈になる。
だいたい、そーゆーふーに説明されておるよーだ。
ほんとーかどーかは、わかりません。
これから考えるところだもん。
でも本当ぽい。
仮説として一考に値する。