太平洋戦争始まりのころ

“太平洋戦争始まる。 
女学校2年生になっていた私は朝2階から降りた途端にお茶の間のラジオから上ずったアナウンサーの声が飛び込んだ。 
米国と戦闘状態に入った、真珠湾を攻撃して何隻もの軍艦を撃沈した事を正確な言葉は忘れたが何度も繰り返し、その間に軍歌が流れた。 
父は複雑な表情で「まさかなあ この間ゴルフの仲間と今年中に日米開戦有るかを賭けて、無いと思ったから有るほうにしたのだが・・・」と不謹慎なことを言った。 先の事を考えての不安を隠していたのではないか。 
一番亢奮していたのは中学5年生の兄だった。ラジオの新しいニュースを聞き逃すまいと二階の自室との間を何度も往復していた。 3年後学徒出陣することになるとは予想してなかっただろう。 
華々しい戦果と勇ましい軍歌に何となく高揚した気分で登校した。 教室ではグループごとに集まってその話しで持ち切りだった。  私は親友と二人、校舎の裏庭の芝生に座って柔らかな日射しを浴びながら今朝聞いたラジオの内容を思い返していた。 ずっーっと黙っていた彼女がポツンと「朝から軍歌ばっかり 変なの」と呟いた。 いつもにこにこして穏やかな彼女の言葉に驚いた。 
何も解らず上ずっていた私の気分もその一言で現実に引き戻され、これからどうなって行くのだろうと微かな不安が生まれた。 
彼女の父親は祖父を継いで商社マンだったが学究肌の方で世界の事情にも通じていらしたようだ。 そういう雰囲気が彼女の独り言にでたのだろう。 
女学校2年生に深い事が解る訳もなく悲惨な戦争の暗闇の始まった昭和16年12月8日だった。”
12月8日: 気がつけば82歳