"統合失調感情が脳の特定部位の機能損傷でないならば
なぜ一様に幻聴と被害妄想が出現するのだろうか
被害妄想に関しては、
人間の脳、ひいては動物の脳は、状況の意味がはっきりとつかめないときに、
被害妄想的な受け取り方をするものだと思う
状況がはっきりしないとき、楽観的な予測をするか、悲観的な予測をするかは、
生存に大きく関わる
そしておおむね、悲観的な予想をして、慎重に、被害妄想的に受け取った方が、
生存確率は高くなるのではないか
だから、脳の下位には被害妄想回路が組み込まれている
そしてその回路を上位から抑制する形で、状況の正確な認識の回路が形成されている
状況の正確な認識には、脳の広範な各部位の協力が必要であるはずだから
状況の正確な認識が失われるのはたやすいことだろう
そしてその場合、下位の被害妄想回路が働くことになるだろう
だからたとえば、異国の地にいて、状況がよくつかめないとき、
被害妄想的になるはずであって、
それは統合失調症の発症とは言えないものである
またたとえば、山で遭難したときに被害妄想的な体験をすることになるのもそうした事情であろう
極度の衰弱の場合に、楽天的でいるヒトは少ない
たいていは被害妄想的になって過剰なほどに防衛的になる
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状況の正確な認識に必要なのは、
予測と現実結果の照合である
特に照合部分の損傷は大きな影響をもたらす
(最初に言ったように、統合失調症が部分の病理ではないらしいことは理解しているが、
その全体的な機能低下の中でも特に、という意味である)
生まれつき照合部位の働きが弱いヒトは、
現実把握が悪くなり、生育全体に影響を受ける
結果として、やはり被害妄想が生じやすい
接枝分裂病と昔呼んでいたものはそういうものである
照合部位の働きが悪い場合には
自分の内部の考えが外部由来の考えかどうか判断が不安定になる
個人的には照合部位は予測と現実結果との照合部位への到着の時間を測定し照合しているのだと思う
予測が早ければ自由意志の感覚が生じる
現実結果が早ければ幻聴という結果になる
聞こえるという要素は重要ではないだろう
考えが浮かぶというとき、声の形をとることが圧倒的に多いだけだろうと思う
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