なぜこれほどまでにキリスト教は日本で受け入れられなかったのか。日本のキリスト教史を考える上で、それはもっとも重要な疑問であり、課題である。
それは、キリスト教文学がまだ注目されていた頃、カトリックの信仰をもつ遠藤周作氏が、代表作となった『沈黙 』などで問うたことでもあった。遠藤氏は、『沈黙』に登場する棄教したポルトガル人の神父に、「この国はすべてのものを腐らせてしまう底なしの沼だ」と言わしめた。
このことばの意味するところを考えることは重要だが、戦後に限って考えれば、信者を増やしていく絶好の環境が整ったにもかかわらず、キリスト教の教勢が拡大しなかったのは、創価学会の存在があったからである。
これは、現在の世界で起こっていることだが、経済発展の著しい国では、プロテスタントの福音派が信者を増やしている。キリスト教徒が30%を占めるようになった韓国でもそうだし、中国でも最近ではキリスト教徒の割合が高くなっている。その主力は、中国政府に公認されない地下教会(あるいは家庭教会)で、その多くは福音派である。
福音派は、病気治療や現世利益の実現をかかげ、扇動的な説教を行うカリスマ的な牧師を中心に組織された集団である。カトリックの牙城であるはずの南米ブラジルでも、福音派への改宗者が爆発的な勢いで増えており、バチカンはそれに強い危機感を抱いている。
日本も、戦後には高度経済成長という形で、驚異的な経済発展を経験している。その時代に、キリスト教の福音派が勢力を拡大していても不思議ではなかった。
ところが、戦後その勢力を拡大したのは、創価学会や立正佼成会、霊友会といった日蓮系の新宗教だった。とくに創価学会は驚異的な伸びを見せ、現在では、実数で国民全体の3%程度を会員にしている。創価学会だけで、キリスト教徒の四倍程度の信者数を擁しているわけである。
戦後の創価学会をリードしたのは、第2代会長となった戸田城聖である。戸田は、現世利益の実現を中心に掲げ、その庶民的な語り口によって多くの会員を獲得するのに成功する。創価学会は、経済発展が続く国々で福音派が果たしていることと同じことをやっていった。しかも、政界に進出することで、政治的な権力から遠いところにあった庶民に選挙活動を通して政治に影響する力を与えた。
これでは福音派が日本に入り込む余地はない。以前、日本で布教活動をしていた韓国の福音派の牧師が、布教を途中で諦めたという話を聞いたことがある。創価学会をはじめとする日蓮系新宗教は、キリスト教を日本に浸透させない壁となったのである。
— キリスト教が日本で広まらなかった理由 – 島田裕巳(宗教学者)