"世界には多くの異なる文化が存在しているが
それぞれの文化で「神」に相当するなにかを持っていることがほとんどである
何故か例外なく、人間であるかぎり、そのような思考になるようだ
どうして仮想的な神の観念をそれぞれ独自に、しかし共通に持つことになるのか、
人間の脳の共通性に由来すると思うが、不思議な事ではある。
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たくさんある宗教の共通点と相違点を明らかにすることは興味深い話である
大学の講座には比較宗教学というものがあり
また一方では宗教的多元主義という主張もある
多くの宗教を研究してみれば、相違点よりも共通点が多くあり、
たとえば富士山の頂上は一つであるが登山の経路はいくつかあるのと同じで、
諸宗教はほぼ共通の目的地を指し示していて、そこに至る経路がそれぞれ異なるという理解である
などが理解しやすい入門書である。
宗教の名で戦争をしている人類は変わらなければならない。
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また一方で、諸宗教の時代ごとの変遷をたどることもよく研究されている。
キリスト教系列でいうと
アニミズム、多神教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、といった時代ごとの変遷がある。
ワーグナーが好んだキリスト教以前のゲルマンの神々についての神話とか、土着の原初的な宗教がある
各地でのお祭りの起源としては収穫祭の系統のものに土着的な神々への信仰が混合されたものが多いだろう。
もちろん、キリスト教内部での教義の変遷があり、カトリックからプロテスタントへといった大きな変化もあった。
なぜそのような変化があったのかといえば、
それは狩猟採集から農耕牧畜へ、そして工業の成立など人間の生産能力の進歩とか、活版印刷の流布、科学の進歩、教育の普及、市民階級の興隆、そういったたくさんの要素が関係してそれぞれ成立したと考えられるのだが、
そうした人間の現実生活のあの方と、宗教のあり方との関係を考察したものが
ハンス・キュングなどの著作にある。
時には宗教的思考が現実を変化させただろうし、ときには現実の生活の変化が宗教的思考に変化を与えただろう。いつまでも同じ教義を信じ続ける理由はない。
ハンス・キュングの論述は鮮やかで、
人間の生産技術が進歩すれば、価値観の変化が生じ、宗教にも変革が生じるということを、説得的に描いていると思われる。
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最近のハーバード大学入学者にアンケートをして、宗教に対しての態度を調査したものがある。
無神論、不可知論、キリスト教各派、以下様々、イスラム教、仏教など。
無神論と不可知論が大きな割合を占めている。
しかしながら彼らが倫理的に劣っているとか、人間として未成熟であるというわけではない。
無神論にも大きな幅があり、キリスト教にも大きな幅があるということだ。
無神論者であるが深い祈りを好み、敬虔であるという人はいくらでもいる。その点では、諸宗派には属さないが、根本的に宗教的なのだと感じられる。
無神論者や不可知論者も含めて、幅広く宗教というものを定義し直すことができないかという
新しい流れもある。
これはまだ充分に成功しているとはいえないし、
キリスト教福音派とか各宗教での原理主義者が存在して、難しいのであるが、
未来に向けた試みとして、たいへん重要だと思う。
これは、人間の脳には、神の観念を進展させる部分と、
敬虔さとか祈る心とか倫理的思考を進展させる部分が別々にあるからではないだろうか。
だからこそ、ときに神に忠実に人殺しができるのだし、
神を信じていないのに見事に倫理的存在になるのだろう
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