高木孝一元敦賀市長の講演内容
『只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工
会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろ
うということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。
…ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということに
ついては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、
ということで、引き受けた訳でございます。
……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト 60 がその前の排出口
のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でご
ざいます。
私は、その4月 18 日にそうしたことが報道されましてから、20 日の日にフランスへ行った。
いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト 60 がホンダワラに付
いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。
そのホンダワラを1年食ったって、規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。
そういうふうなことでございまして、4月 20 日にフランスへ参りました。
事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。
ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそう
な勢いでこの一件が報じられる。
止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の
新聞でございまして、実はビックリ。
ところが 敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をして
おりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海
道で採れた昆布までが…。
敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、
敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。
ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなか
った。
まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。
そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも 100 円損したと思うものは 150 円貰い
なさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。
100 円損して 200 円貰うことはならんぞ、と。
本当にワカメが売れなくて、100 円損したんなら、精神的慰謝料 50 円を含んで 150 円貰い
なさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんでが、そうしたら出てくるわ出てくるわ、100
円損して 500 円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍
手?!)。
100 円損して 500 円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。
原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、
それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100 円損した
者には 150 円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから 500 円あげるというんでは、到
底これは慎んでもらいたい。
まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。
いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人
もおりません。
まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、
そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホク
ホクなんですよ。
…(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずに
おこう。
キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金!ま
あ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他
にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの
地域である訳でございます。
それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、こ
こはこれだけだ、ということでエキサイトする。
そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互
いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなこ
とでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で 42 億入ってくる。
三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は
低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較
検討しますと入ってくるカネが 60 数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会
場感嘆の声と溜息がもれる)。
…で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経
ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。
この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。
今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、
6000 万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッ
と笑い)。
あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。
それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長とい
う立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。
今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、
富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ
(ドッと笑い)。
これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っ
とる(再び笑い)。
まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50 億円で運動公園は出来るわね。
火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といっ
たようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、
と、そういうことで私
は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っと
は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っと
る、信念!
……えー、その代わりに 100 年経って片輪が生まれてくるやら、50 後に生まれた子供が全
部片輪になるやら、それはわかりませんよ。
わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。
こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)』