被爆国国民として考えること
アメリカの投下した二発の原爆で被曝した国民であることと
原発の危険性についての心配は一見関係なさそうで、実はとても関係有るものだと思う
原爆完成で核エネルギー用が現実化した
原発技術で核エネギーの平和利用が可能になった
とまとめられるのだが、
原爆は人類総破滅の技術であり、恐怖の技術である
原発の技術は原爆作成と係るものだとの指摘がある
原発技術は完全なものではない
ひとつだけ例を上げても、使用済み核燃料をどのように処分したらいいのか、
世界の誰も知らない
将来なんとかなるだろうと楽観的に考える人もいてもいいのだが
悲観的に考える人もいたほうがいいのであって
その場合、被爆国国民である日本人は、核エネルギーに対しての
否定的で懐疑的で厳密な感覚を大切にしなければならないのではないかと思う
核アレルギーはとても良いことなのだと思う
現在のように核賛成論者が大儲けしている環境では大切だろう
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「坑内カナリア理論」カート・ヴォネガット・ジュニア
わたしはときおり芸術はなんの役に立つのかと疑問をもつことがあります.わたしに思いつけるいちばんましな答は、みずから『坑内カナリア理論』と名づけたものです.この理論にしたがえば、芸術家が社会にとって有用なのは、彼らがきわめて敏感であるためです.彼らは敏感すぎるほど敏感である.そのために、もっとも強壮なタイプの人間がまだなんの危険にも気づかない前から、彼らは有毒ガスの発生した炭坑の中のカナリアのように、目をまわしてぶっ倒れるのです.
ハヤカワSF文庫[SF172]カート・ヴォネガット・ジュニア「プレーヤー・ピアノ」"訳者あとがき"より
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ここで言われている言葉を使えなら
核のカナリア
として日本人は国際的に意味があると思う
ここで言われている言葉を使えなら
核のカナリア
として日本人は国際的に意味があると思う