“たしかにね、 この世で不幸せな人はいて、幸せな人との差は その人のせいというわけでもなく、 ただ運の悪さを嘆くか、 文化によっては前世の報いとか、親の功徳のせいとかいろいろと言い方もあるが 多くの宗教で言うのは、 現世で報われなくても、次の世とか来世と天国と地獄とかで、 必ず帳尻は合わせられるのだということだ。 正しい、良いことをしているのに、なぜ私は幸せになれないのか、 次々に不幸が襲うのかと疑問を投げかけられる、 それに対して、現世では報われないが、来世では必ず報われるのだと人民をなだめる、 それが

"たしかにね、
この世で不幸せな人はいて、幸せな人との差は
その人のせいというわけでもなく、
ただ運の悪さを嘆くか、
文化によっては前世の報いとか、親の功徳のせいとかいろいろと言い方もあるが
多くの宗教で言うのは、
現世で報われなくても、次の世とか来世とか、天国と地獄とかで、
必ず帳尻は合わせられるのだということだ。
正しい、良いことをしているのに、なぜ私は幸せになれないのか、
次々に不幸が襲うのかと疑問を投げかけられる、
それに対して、現世では報われないが、来世では必ず報われるのだと人民をなだめる、
それが宗教の機能の一つであった
しかし現代文明の特徴である、「いまだけ、自分だけ、お金だけ」という世界では
来世の報いとか最後の審判とか、説得力は全くない
ただむき出しの現在と将来の貧困があるだけで救いがない

そして、現世主義に徹するなら、貧困者が政治勢力となって、富の再分配をすれば良さそうなものだが、
その動きは全くない
苦しいなら苦しいで、現状維持でいいらしい

現状を変革することを怠るための言い訳なら100も言うくせに
実際に一歩も一ミリも自分を変えようとしないし世界を変えようとしない
実に不思議な光景である

自分を変えられるような人は
すぐに状況を自分の満足できるものに変えてしまうのだろうか
そして自分を変えられない人は、言い訳ばかりを探して、自分の怠惰を正当化しているのだろう

変えられる人はさっさと変えてしまう
変えられない人はいつまでも不満を言い続ける

不満ばかり言う人の話にいつまでも付き合う人はいないので
だんだん孤独になり
ますます自分を変えるチャンスがなくなる
"

とはいうものの、実際にソ連は消えたし、東欧は変わった
いつかは変わるものなのだろうと思う