採録
満鉄小唄
討匪行
傀儡国家満州国建国の年の1932年に大ヒットした。作曲と歌は藤原歌劇団の藤原義江、作詞は関東軍参謀部八木沼丈夫(アララギ派の歌人でもあった)厭戦的雰囲気を持っているので、戦局が日本に不利になると歌唱を禁じられたといういわく付きの曲。
一、 どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ 三日二夜を食もなく
雨降りしぶく鉄兜(かぶと) 雨降りしぶく鉄兜(かぶと)
二、嘶く声も絶えはてて 倒れし馬のたてがみを
形見と今は別れ来ぬ 形見と今は別れ来ぬ
三、蹄(ひづめ)の跡に乱れ咲く 秋草の花雫(しずく)して
虫が音細き日暮れ空 虫が音細き日暮れ空
四、既に煙草はなくなりぬ 頼むマッチも濡れはてぬ
飢え迫る夜の寒さかな 飢え迫る夜の寒さかな
五、さもあらばあれ日の本の 我はつわものかねてより
草生す屍(かばね)悔ゆるなし 草生す屍(かばね)悔ゆるなし
六、ああ東(ひんがし)の空遠く 雨雲揺りて轟(とどろ)くは
我が友軍の飛行機ぞ 我が友軍の飛行機ぞ
七、通信筒よ乾パンよ 声も詰まりて仰ぐ眼に
溢るるものは涙のみ 溢るるものは涙のみ
八、今日山峡(やまかい)の朝ぼらけ 細くかすけく立つ煙
賊馬は草を食(は)むが見ゆ 賊馬は草を食(は)むが見ゆ
九、露冷えまさる草原に 朝立つ鳥も慌し
賊が油断ぞひしと寄れ 賊が油断ぞひしと寄れ
十、面(おも)かがやかしつわものが 賊殲滅の一念に
焔と燃えて迫る見よ 焔と燃えて迫る見よ
十一、山こだまする砲(つつ)の音 忽(たちま)ち響く鬨(とき)の声
野の辺(へ)の草を紅(あけ)に染む 野の辺(へ)の草を紅(あけ)に染む
十二、賊馬もろとも倒れ伏し 焔は上がる山の家
さし照れる日のうららけさ さし照れる日のうららけさ
十三、仰ぐ御稜威(みいつ)の旗の下 幾山越えて今日の日に
会う喜びを語り草 会う喜びを語り草
十四、敵にはあれど遺骸(なきがら)に 花を手向(たむ)けて懇(ねんご)ろに
興安嶺よいざさらば 興安嶺よいざさらば
十五、亜細亜に国す吾日本 王師一度(ひとたび)ゆくところ
満蒙の闇晴れ渡る 満蒙の闇晴れ渡る
満鉄小唄
雨のしょぼしょぼ 降る晩に ガラスの窓から のぞいてる
満鉄の金ポタンの ぱかやろう 触るは五十銭 見るはただ
三円五十銭 くれたなら かしわの鳴くまで ぼぼしゅるわ
上るの帰るの どうしゅるの はやく精神 ちめなさい
ちめたらゲタ持って 上がんなさい
お客さんこの頃 紙高い 帳場の手前も あるでしょう
五十銭祝儀を はずみなさい そしたら私も 精だして
二つも三つも おまけして かしわの鳴くまで ぼぼするわ
ああ騙された 騙された 五十銭金貨と 思うたに
ビール瓶の栓かよ 騙された
朝鮮人娼婦の悲哀を謳った有名な春歌。第1作「懲役太郎 まむしの兄弟」で、川地民夫がメロディをハーモニカで吹いたり、刺青が雨に流れ落ちる名シーンのバックに挿入された。
[b]の音が[p]で発音され、「五十銭」が「コチーセン」と歌われるのは、これが朝鮮人従軍慰安婦の哀歌だからである。
あめのしょぽしょぽ ふるぱんに からすのまとから とをたちて
まんてつのきんぽたんの ぱかやろう
あかるのかえるの とうしゅるの はやくしぇいしん ちめなさい
ちめたらけたもて あかんなしゃい
ああまたたれか たまされた ごじゅせんきんかと おもうたに
ふりぴんのせんかよ たましゃれた
歌詞の異同も含めて、文字どおり民俗歌・ひとびとのうた・フォークソングと言える。 この「満鉄小唄」は、替え歌で、元歌は戦時歌謡の「討匪行」である。