"どの人も、自分の考えや主張を抱くとき、
抽象的で偏りのない前提から考え始めることは少ないだろうと思う
それができるのは論理学者とか、そのようなやや特殊な訓練を経た人たちだろうと思う
たいていの人は、その人が主に偶然に出会ってきた人や出来事や書物や言葉に影響されて
現在がある
そこには意志の自由と言っても少ししかないと思われる
誰かが何かの考えを抱くのにも相応の理由があるのだと思う
だから正反対の主張をする人たちがいても
世界はそのような言葉、思想、出来事、現実、人物にあふれていて、
偶然に出会いが割り振られているのだと思う
他人への共感能力などというものも
重要だと考えられていながら
社会としてそういったものを涵養する具体的な方法を持っているとは言えない
ラインやツイッターなどの「部分的人間関係」が、子供たちを大幅に支配している
なんということだろう
現実の、子供の近くにいる人間が、その全体像を見せて、子供を導くことが必要なのだろうもう
そこから人間の徳は生じるのだと思う
「全体的人間像」が徳を子供に伝える
「部分的人間関係」は操作的人間関係を教えるだけである"