“ところで、セイロンと言えば、スリランカの旧名である。 スリランカで紅茶を作るようになったのはイギリスがスリランカを植民地にしていたからだ。 イギリス人はここで紅茶を作る労働者として、地元のシンハラ人を使わずにインドからタミル人を連れてきて労働させた。 シンハラ人は仏教。 タミル人はヒンドゥー教。 やがて、スリランカという小さな島の中で2つの民族が溶け合わないまま対立するようになり、これがスリランカに激しい内戦を生み出す元になっていく。 ここで、セイロン茶葉の紅茶でも飲みながら考えて欲しい。

“ところで、セイロンと言えば、スリランカの旧名である。
スリランカで紅茶を作るようになったのはイギリスがスリランカを植民地にしていたからだ。
イギリス人はここで紅茶を作る労働者として、地元のシンハラ人を使わずにインドからタミル人を連れてきて労働させた。
シンハラ人は仏教。
タミル人はヒンドゥー教。
やがて、スリランカという小さな島の中で2つの民族が溶け合わないまま対立するようになり、これがスリランカに激しい内戦を生み出す元になっていく。
ここで、セイロン茶葉の紅茶でも飲みながら考えて欲しい。
イギリスは統治する植民地には必ず異民族を「植民」して、対立が起きるようにしたのはなぜか。それは「分割統治」という支配戦略を持っていたからだ。
イギリスは、自分たちが植民地に君臨するとき、必ずクッションとして別の民族を自分たちの下に置く。
そして、そのクッションにした民族を優遇し、税金の取り立てや警察組織をその民族にやらせる。
そうすると、土着の民族と、植民された民族が互いに反目し合って、直接イギリスに敵意が向かって来ない。
スリランカでは、その分割統治の定石通りに植民地支配が行われて、インドから連れてこられたタミル人は土着のシンハラ人をよそに安定した仕事と富を得ることになった。
そして、イギリスの目論み通り、シンハラ人とタミル人は憎しみ合い、数十年にも渡る激しい闘争を繰り広げていたのである。
この構図は、香港でも、シンガポールでも使われた。そして、パレスチナでも分割統治の名残りとしてユダヤ人が植民されて、中東の火薬庫となっていった。
異民族が植民されたら必ず対立する。そして、分断できる。分断したら、その両方の支配者になって、刃向かいそうになったら双方で対立を煽ればいい。
植民地で紅茶を作らせるためにタミル人が連れて来られたが、それが対立を生み出すのをイギリスは初めから知っており、それを利用したのである。”