還元主義 紙とインクから意味ができるのか

生物、心理、社会のそれぞれの階層で患者さんを捉えると、
それぞれの治療法がふさわしいとも思われる

何がふさわしいかを判断するのは統一的な理論がなくて
各人が常識的に選択している

生物学の側面として神経伝達物質の問題
心理の問題として、生育歴からくる内面の葛藤
社会の次元の問題として、会社での上司との不適合 

心理の問題は心理の次元の問題だから
生物学に還元しないで
精神療法的に解決しましょうといったとして、
それが正しいのだろうか

上司との不適合があるとして、
ビジネスの自己啓発系の本を何冊か読み、
先輩に相談して、環境改善が出来ないかを試み、
それが正しいのだろうか

上司との不適合の根底には
個人心理の問題があり、その背景には神経伝達物質を含む生物学の問題があるはずだろう

上位の問題をすべて下位の問題に還元できないことも確かで、
上司とうまくいかない問題が、神経細胞レベルで記述できるかといえば、
原理的にはできるのだろうが、現状では技術的に無理としか言いようがない

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この場合の還元主義というのも、生物学は生化学へ、それはさらに物理学へ、というような
典型的な還元主義とは違って、

個人心理は生物学で完全に記述できるわけではないだろう
特有の生育歴を生物学的つまり現代で言えば生化学的に記述するとして、
道は遠いし、
脳を書物に例えるとして、
活字とインクと紙を研究したからといって、
「何が書かれているか」について、知ることができるわけでもない

最近の脳の映像処理とか脳波などもそうで、
個人の体験にどこまで迫れるかといえば、難しい

脳波の所見から、食べ物の夢を見ていたと推定することができるとかいう研究が発表されたが、
それをどう解釈するのかは、これからの問題である

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そのような状況で、確かに、神経細胞と神経伝達物質が基礎になる物質ではあるのだが、
個人の体験や生育歴をそれらの物質の変化として記述できるようになるのは遠い未来だろう

書物は、どうせ紙の上のインクの染みなのだが、
その「意味」については、人間同士の約束とか週間、つまり文化の問題である

小説を研究するときに、紙とインクの研究をしてもあまり良い方向ではないのではないかと
よく言われる例えではあるが、
たしかにそんな気はする 

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紙とインクがあっても意味にはならない
意味になるにはそれ以上の何かが必要なのだ