たとえばいま目の前で生起しつつある事象の意味を考える
そして
眼の前に起こることと遠くの事象との間の関連に気づく人が芸術家である
また宗教家でもあり学者でもある
内的関連に気づくとはどういうことだろう
内的構造を取り出すとはどういうことだろう
ーー
まずひとつの分野の内部でも内的関連に気づくことを尊重する人たちとそうでない人達がいる
科学は一般に内的関連を「法則」として考えることなので
当然に、内的関連について考察し続けている
そうでないのは文学や歴史である
大きな事象から小さな事象まで歴史はディテールにあふれている
それらたくさんの事象の内部に伏在する構造の類似性を抽出し、法則にまで高めた場合、
社会科学が成立する
たとえば物質生産様式の歴史変遷と
キリスト教内部の信仰様式の変遷との間の
類似に気づいた人がいて、なかなか立派な着眼だと思う
キリスト教がユダヤ教から成立し、原始キリスト教になり、カトリックになり、堕落し、プロテスタントになり、
そのほか、ビューリタンであったり、ギリシャ正教であったり、また異端の成立と弾圧、魔女狩り、
そうした歴史と、唯物論的な下部構造の変遷とを対応付けると
非常に納得できる説明が完成する
それが理解というものであり科学というものである
文学で考えれば
たとえば小説の中に埋め込まれた構造は他の作品の中にも再生・引用されて、作品の重層的構造を生む
ーー
人間の心理について心理学者は普段からそのような営みをしている
今診察室で起こったことはいま診察室の外部で進行していることと同型性がある
そしてその2つは生育過程で起こったこと、つまり個体生育史と
関係付けられて「理解」される