“デマの怖ろしいところは、言い出す奴や拡散する奴はローコスト(具体的な証拠を提示する必要がない)だが、それを否定する側は大きな労力を要求されることだ。まったくもって不公平である。  証拠を提示する責任があるのは、「やった」と主張する側だ。立証責任を相手に押しつけてはいけない。  だから、「噂は完全に否定されるまではデマではない」と考えてはいけない。「噂は事実だと証明されるまではデマ」と考えるのが正しい。  もちろん、それが最終的にはデマではなかったと分かる場合もある。しかし、ネット上では「デマっぽい

“デマの怖ろしいところは、言い出す奴や拡散する奴はローコスト(具体的な証拠を提示する必要がない)だが、それを否定する側は大きな労力を要求されることだ。まったくもって不公平である。 
 証拠を提示する責任があるのは、「やった」と主張する側だ。立証責任を相手に押しつけてはいけない。 
 だから、「噂は完全に否定されるまではデマではない」と考えてはいけない。「噂は事実だと証明されるまではデマ」と考えるのが正しい。 
 もちろん、それが最終的にはデマではなかったと分かる場合もある。しかし、ネット上では「デマっぽい話がやっぱりデマだった」という例が圧倒的に多い。怪しい話に接した時は、判断を保留することだ。
「やっぱり事実だった!」と言うのは、確実な証拠が出た後でも遅くはない。”