"口内炎の話をして
ビタミンCはすごくしみるよとか言ったら
その人は塩水で口の中をすすぐんだそうだ
すごくしみて、
自分が気がついていない口内炎まで気が付くと言っていた
野武士のような人だ
野武士のような人と書いたけれども
私は野武士は一人も知らない
それなのにどうして比喩が成立するのだろう
体がダルイことを
体が鉛のようだと言う人がいるのだが
体が鉛になったことなんかその人もないだろうし
聞く方もそんな体験はない
それなのにそういう言い方をするのは不思議だ
おまけに、体が鉛の管のようだ、と言ったりもする
体が鉛というだけでも全く想像もしにくくて
現代生活では鉛という金属に触れることも殆ど無い
昔なら、水道管が鉛だったり、鉛の分銅とかあったのかもしれない
そういう状況なのに
比喩として、体が鉛の管のようだというのである
アメリカンイングリッシュでそのような言い方はあるけれども
アメリカ人だって実感はないだろうと思う
私の腕はまるで鉛の管だ
と言われても、どうなんだか、よく分からない
まあ、重くて自由にならないんだろうな
しかし、それならそれで、もっと実感に則した
現代的な言い方があるだろうと思うのである
"