"神は多くの名を持つが
その高みにおいて一つである
私はそう考えているが
そんなことを立証することはできない
ただ私がそう思うだけだ
神は光が比喩として用いられることも多い
当然、また、太陽が比喩として用いられる
それは大変納得できることなのであるが
もちろん、立証できるような話ではない
つまり、単に、各自が、それまでの独自の体験や読書の体験から、
神というものの輪郭を思い描いている
しかしたとえば、神はすべての形容詞を拒絶し、すべての限定を拒絶するという立場も強力である
このような状態であるから、
神の愛について語るなど、
曖昧さの上に曖昧さを重ねるようなもので、
他人に意味を伝えるにはたいへんな困難がある
しかしながら、人間の脳には共通の構造があり、
人間の体験にも、共通部分が大変に多い
その共通性を考えた上で
神という概念は、ある種の極限概念であると考えられる
無限に大きな何か
無限にゼロに近い何か
それは静止したものではなくて、運動の極限と考えられる
父性的なものの極限、母性的なものの極限、
理性の極限、倫理の極限、正義の極限、共感の極限、
どの場合も、人間の世界で我々が体験することのある要素を極限にした場合に神に行き当たると考えられる
そのように考えたとしても、依然として、全く具体的ではない
依然として曖昧であり、依然として個人的体験であり、個人的思弁である
そして、神父になって生計を立てていこうと思ったりしない限りは、
自分の抱いている神の概念やイメージについて、他人と妥協する必要は全くない
困ったものである
しかしまたそのような困った状態に置かれていながら人間は実は全く困っていない
神とは人間にとって所詮その程度のものである"