“注目を集めたフレーズが“将来の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない”であった点はかなりの問題になるだろう。“日本は、もう謝るのに飽き飽きしたし、盛りだくさん沢山詫びたので、今回限りにするからね。” そう表明した70年安倍談話だった。
「首相の支持母体・国家主義者たちと、世界の論調とのバランスに苦慮した」
「近隣諸国が要求していたような安倍首相自身の言葉による率直な謝罪は避けた」
「過去の政権の謝罪を支持したものの、独自の新たな謝罪は示さなかった」
「中国と韓国の怒りを買わないようにすると同時に、度重なる謝罪の要求にいら立ちを感じている国内のナショナリスティックな声にも配慮する必要があった」
「「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段として二度と用いてはならない」、「植民地支配から永遠に訣別」など第三者的な口調を用いた」
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
一般的に言って、読みづらい文章は大体「政治的妥協の産物」である。様々な意見を混ぜこぜにしているので、焦点が定まらないものとなる。
次に、読みづらい理由として、英文からの翻訳である、という場合だ。この談話、日本語と英文が同時に出た。当然、日本の新聞は日本語の方を掲載するわけだが、英文と読み比べていくと、「この談話はそもそも英文での発表」を目的にしたものではないかとわかる。表現が日本文よりも整っているのだ。
We will engrave in our hearts the past, when Japan attempted to break its deadlock with force. Upon this reflection, Japan will continue to firmly uphold the principle that any disputes must be settled peacefully and diplomatically based on the respect for the rule of law and not through the use of force, and to reach out to other countries in the world to do the same. As the only country to have ever suffered the devastation of atomic bombings during war, Japan will fulfil its responsibility in the international community, aiming at the non-proliferation and ultimate abolition of nuclear weapons.
We will engrave in our hearts the past, when the dignity and honour of many women were severely injured during wars in the 20th century. Upon this reflection, Japan wishes to be a country always at the side of such women’s injured hearts. Japan will lead the world in making the 21st century an era in which women’s human rights are not infringed upon.
We will engrave in our hearts the past, when forming economic blocs made the seeds of conflict thrive. Upon this reflection, Japan will continue to develop a free, fair and open international economic system that will not be influenced by the arbitrary intentions of any nation. We will strengthen assistance for developing countries, and lead the world toward further prosperity. Prosperity is the very foundation for peace. Japan will make even greater efforts to fight against poverty, which also serves as a hotbed of violence, and to provide opportunities for medical services, education, and self-reliance to all the people in the world.
We will engrave in our hearts the past, when Japan ended up becoming a challenger to the international order. Upon this reflection, Japan will firmly uphold basic values such as freedom, democracy, and human rights as unyielding values and, by working hand in hand with countries that share such values, hoist the flag of “Proactive Contribution to Peace,” and contribute to the peace and prosperity of the world more than ever before.
英文では一言一句違わない、「We will engrave in our hearts the past, when」で始まる文章が連続して4パラグラフ続いている。英文を読んで、これが印象的なのだとわかった。日本語の表現ではこれがうまく伝わらない。これはアメリカ式のスピーチライターの表現方法であると思う。
この談話の特徴は全部で6つあると思う。
(1)欧米列強の存在と日露戦争がアジア諸国に与えた希望
(2)戦争の惨禍一般、侵略一般への言及
(3)歴代内閣のおわびの踏襲の確認
(4)戦争については胸にとどめるが、もう謝罪しないという宣言
(5)戦後レジーム=サンフランシスコ体制への配慮
(6)積極的平和主義
「一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった」などというあたりから、この談話があらかじめ英訳されて読まれることをかなり意識したように見受けられる。
(3)の「おわび」の部分、「安倍内閣はこれまでの内閣の談話を踏襲する」とはいうものの、安倍晋三首相として「謝罪の言葉」があるわけではない。
ここは総理大臣である安倍首相本人の謝罪であるということを明確にしないと、「公人として仕方なく歴代内閣の政府方針を追認した。私人としては反省もしていない」(事実そうなのだろうが)というふうに勘ぐられてしまうので非常に良くない
安倍首相がいわゆる「歴史修正主義者」と言われる歴史観に親和性がある人物でなければ、何事もなくスルーされた部分かもしれないが、(3)の部分の歯切れの悪さと合わせると、「いつまで謝罪すれば良いのか!」と逆切れする保守オヤジのメンタリティが出たんじゃないかと思わせるものもある。
産経新聞の阿比留記者によると、この部分はドイツのワイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」の演説を意識したのではないかということだったが、安倍晋三お気に入りの阿比留記者がそういう質問をするということは、実際そういう認識なのだろう。
安倍談話にこのような「もう謝罪しない」宣言とも取れる内容が入ったことについて、欧米のメディアは、口を揃えて「安倍晋三首相の支持者のナショナリスト、保守層に配慮した」というニュアンスの解説がなされている
これらのメディアのうちの幾つかは安倍首相の支持層にはナショナリスティックな価値観を持つ「日本会議」という団体があって、安倍内閣の閣僚のほとんどがこの団体の会員であるとこれまで報じてきた。
非公式な立場での個人の米政府高官の感想とは別にすれば、アメリカ政府としては「これでいい」という態度であるということだ。
それというのも安倍談話に示された歴史観、戦後認識は、今年の4月下旬の訪米における合衆国議会の演説と同じだし、新聞報道でも「それを意識して談話を出す」と言われていたからだ。例えば談話の次のような部分がそうだ。
(引用開始)
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
(引用終わり)
上の引用文で書かれている、「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」というのはTPP推進ということである。TPPは1929年以降に生まれたブロック経済よりは自由貿易主義的だが、WTO(世界貿易機関)が目指す自由貿易体制よりはブロック経済的であるのだが、安倍首相は戦後70年談話でTPPの推進まで約束しているということだ。
以上のように見てきた、安倍談話だが、これは、アメリカ向けの談話であり、内容が米議会演説に酷似しているのもそのためである。この談話に示された歴史観である「日本は近代化し、日清・日露までは良かったが、その先が秩序の挑戦者となった」という考え方は、早い話が司馬遼太郎の「坂の上の雲」の歴史観(司馬史観)であり、この司馬史観は、アメリカのエドウィン・ライシャワー駐日大使の元で形成されたものである。だから、この範囲にとどまっている安倍談話はアメリカとしては容認できるわけだ。これまでの安倍政権の行動は、中韓が評価しなくても、アメリカが評価すればそれでいい、合格ラインだというのがベースになっていたと思う。アメリカの政府に向けて書かれた、司馬・ライシャワー史観の談話。”
2015-08-16 01:58