"目的は最終的な平和なのか、それとも、平和に至る平和的プロセスなのか。
最終的な平和のためならば、一時的に戦争も暴力も可能であり、むしろ必要だという考え方は古くからある。警察権力が確立されて後、暴力はなくなるという理屈である。
しかしその場合、警察権力は裏で暴力と結合する。
最終的な平和のためには、途中経過でどんな暴力も可能なのである。
平和に至るための平和的プロセスが大事というのは、たとえば民主主義的決定のためには、結論が民主主義的ということだけではなくて、決定プロセスが民主的であることが一番大切なことである。暴力的な独裁者が、もっとも民主的な決定と思われるものを選択して押しつけるのは、プロセスとして民主主義的ではない。
プロセスとしての反戦争が大切で、平和プロセスが大切なのである。"
"各プロセスの断面のすべてが
反戦争、平和であり、民主主義的で反独裁的であることが必要である
最終結果だけが問題なのではない。"
"これは昔からある正義論とかの典型例
たとえばアメコミのジャスティスリーグで
スーパーマンは、正しい行為のみによって正しい結果を達成する
バットマンは、正しい結果のためならば、正しくない行為も必要だと考える。
ここに、ジャスティスリーグないでの葛藤も生じる。"
"もちろん、これまでの歴史で、実際に起こったことは、
行為の途中での善悪にはこだわらず、目指す結果を達成した方が強いに決まっている
正しいプロセスを実行しようとする人は
敵に読まれてしまうし、行動のバリエーションも少なくなる
横綱相撲だけでは勝てないのが実情である
しかしそうは言っても、歴史を前に進めたいと人々は願い
戦争放棄とか核兵器廃絶とか非核三原則(実際には日米の密約により破られていたのであるが)とか
すばらしい目標を掲げて、歩み出したのだと思う
自分たちだけ戦争放棄して、悪い敵が攻めてきたらどうするんだというのは
100年も前の議論であって、
そんなことは承知の上、「敵」が攻めてこないように、外交、通商、文化交流はじめ、様々な手段があるのだと
話し合ってきたではないか
日本の戦後を参考にして考えてみたいのは、
日本の前後の場合には、軍事費を最小にして、非軍事産業に資金を注入することが
経済的成功につながったという事実である
また一方で、朝鮮戦争特需とか、またその後の戦争のおかげで経済的に助かったことも事実なのであるが"