"先日、ウナギ神社というものがあって、ウナギが信仰の対象で、ご神体、というのが紹介されていた
東ローマ帝国はイスラム教と対抗する関係から、途中から偶像崇拝禁止に踏み込んだ
年月がたってから禁止は解除されたが
偶像を崇拝するのは低次元の宗教だというような意識も育っていたのか
像と言っても「イコン」と呼ばれるもので、あまり写実的ではないし、名人の作品とも言い難いような何かのまま
あくまで、理解の進んでいない人にわかりやすいようにするためのもの、
勘違いしてそれを崇拝したりしないように、わざと崇拝対象になりにくいものにしているのではないかとの話
ギリシャ正教、ロシア正教会など
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は同根一神教で、イスラム教が一番新しいだけあって、いろいろと進んでいる点もある
普通考えると
アニミズム、多神教、一神教と進化すると考えられる
たとえば、きつねが神様、山が神様、海が神様、太陽が神様などとあるとして、
それらの神様同士の関係はどうなっているのかと考えると思う
それで何となく太陽神が最高の神ではないかとか思うらしい
すると多数の神様についての内部構造つまり序列が考えられるようになるのだけれども
多数の神がいて序列があったりするのでは
下位の神様は神様ともいえないのじゃないかと自然に考えが進む
たとえば現世利益をお願いするとして、どの神様が一番強力なのなかなと思ったりする
また宗教的想念としてはどれが最初にできたかと考えが進む
世界の最初には何があったかと問うことになる
すると自然に一神教的な世界観に進んでゆく
自然を大切にするとか崇拝するとかはいいのだけれども、
そのことと宗教は別なことになる
この進行を自然で妥当で不可避なものと考えるなら
アニミズムや多神教は宗教としては未熟な形態であるという結論になる
ましてや、仏教も神道も習俗の中に溶け込ませて容認しているというのは、
原理原則的思考の弱さ、矛盾を曖昧に放置する性格、原則貫徹よりも現状容認の態度
もっといえば思考中断の習慣
などを表しているのだろう
昔からそうなっていると言われればそれ以上考えない習慣"
"一方で、一神教の体系が無矛盾というわけでは決してない。
だから昔から異端派がたくさんあって、ローマカトリックはそれらを弾圧し続けた
すべてが神の意志であるというのなら
この世にあふれる不幸は神の意志であるということになるが
本当にそうなのかとか
神の摂理とか
善なる神の作った世界にどうしてこんなにも不幸があるのかとか"