他の絶望については なんとか時間とともに回復する余地があると思う しかし不治の病についてはそうもいかない あなたがいなくなったあとも人間の社会は同じように続き あなたを忘れないでいる人も生き続けるとかの説明か あるいは宗教による来世や輪廻転生の教えを説明することになるのかもしれない いずれにしても、個人の生命、意識としては行き止まりである その行き止まりを打開するために 個人意識を家族に拡大してみたり いろいろあるけれども决定的な解決にはならない 宗教の影響が大きく、なかば常識的前提のように来世や輪

"他の絶望については
なんとか時間とともに回復する余地があると思う

しかし不治の病についてはそうもいかない
あなたがいなくなったあとも人間の社会は同じように続き
あなたを忘れないでいる人も生き続けるとかの説明か
あるいは宗教による来世や輪廻転生の教えを説明することになるのかもしれない

いずれにしても、個人の生命、意識としては行き止まりである
その行き止まりを打開するために
個人意識を家族に拡大してみたり
いろいろあるけれども决定的な解決にはならない

宗教の影響が大きく、なかば常識的前提のように来世や輪廻が語られる場合には説明もしやすいのであるが
日本のような風土だと
仏教のお坊さんがなにか言っても、それはお話だという程度だろう

我々はみんな死んでゆくのだから
かなり決定的に救いのない社会を生きている

ピンピンコロリと言って
健康な状態から急に即死する状態は
悩みがないだけ幸せかもしれないが
自分の残していくいろいろなものを整理する時間が待つたくないのも大変困る

この世で善を積んだ人が
あの世で幸せになるという世界観はとてもいい
実は善を積んでいてもこの世で報われない人が多いので
それはどうしてかという問いに
たぶんプラトン以前から「あの世で幸せになる」のだと答えていて
プラトンもそのように答えたものだろう

善人が報われないのになぜ善を行うか
それは否応なしに理屈なしに善を行いたくなってしまうようにプログラムされているとしか言いようがない

また善悪の判断は時代により場所により異なるわけで
そこから考えても、善だから困っている人を助けるというのとも違って、
人間の本性として、困っている人を助けたくなるのである。
惻隠の心。共感能力。それを最近のようにオキシトシンだけで説明することもできないだろうと思う。

不治の病と宣告されて、どのようにして安らかに生き、安らかに死んでゆくことができるのか、
信頼性の低い新興宗教に頼らずに、どのように納得することができるのか
とても難しい問題であると思う "