“グローバル競争の激化に伴い深刻化する働環境悪化を反映してか、睡眠ブームが続いている。書店には睡眠関連本が並び、枕やマットレスなど最新寝具市場も急拡大。正しい睡眠法や睡眠グッズについても様々な主張が飛び交っている。だが、睡眠時間については「せいぜい8時間、あるいはもっと短い方がいい」という意見が圧倒的に優勢だ。実際、短時間睡眠を推奨する書籍は多いが、長時間睡眠を薦める本はめったに見かけない。メディアでも「長時間睡眠は早死にする」といった記事は頻繁に掲載され、有名起業家の自己啓発本などを読むと「睡眠時間は3時間で十分。長く寝る奴は人生を無駄にしている。負け組確定」といった趣旨のフレーズが普通に書かれている。読者の中にも、密かに悩んでいるロングスリーパーは少なくないのではないだろうか。本当にロングスリーパーは駄目人間で、長生きすることは出来ないのか、睡眠研究の第一人者に話を聞いてきた。「バラエティ番組制作の裏側」「サプリメントブームの落とし穴」「日本の社会保障制度を維持するための秘策」など様々な話題を経てついに辿り着いた衝撃の結論とは?
最近、睡眠ブームですよね。書店には睡眠本が並び、枕やマットレスなど最新寝具市場も拡大しています。ただ、あまりにも情報が氾濫し過ぎて、本当はどんな睡眠法や睡眠グッズがベストなのか、混乱している人も少なくありません。「8時間寝るべき」と言う専門家もいれば「4時間30分で十分」という偉い先生もいる。そこで今日は、特に睡眠時間を中心に「本当に効果的な睡眠法・睡眠グッズ」について聞きに参りました。
三島:それはまた難しいテーマですね。何時間寝るのが最も健康にいいのか、どんな睡眠グッズを使うと熟睡できるのか、科学的なエビデンスを元に断定するのはとても難しいことなんです。枕やマットメーカーが、何を以って「自社の製品が良質な睡眠につながる」と主張しているかと言えば、例えば、被験者に試させて、「何割の人が従来品に比べて『よく寝れた』と答えた」といったデータを根拠にしています。
たとえ個人の主観でも、十分な量のサンプルがあって統計的に有為なデータが取れれば「効果あり」と主張していいのでは。
専門家を困らせる一部の「対決系情報番組」
三島:それはその通りなのですが、こと睡眠グッズに関しては、統計的に有意なデータを得るのは非常に大変です。先日、あるテレビ局が、「2つの最新枕を対決させる企画をやりたい」と連絡をくれたんです。
ああ、最近多いですよね、そういう対決系の番組。
三島:話を聞いてみると、かなり大掛かりな実験をやりたいと。ボランティアを集め、数十人ずつ2つのチームに分け、それぞれA社とB社の自信作の枕を使って数週間寝てもらう。で、寝心地を採点してもらって勝敗を決めたいと。
なるほど。
三島:でも、私は「そんなことをしても企画は成功しませんよ」って言ったんです。なぜかと言えば、睡眠グッズについては「統計的に有意」と言えるほどの差がまず付かないからです。そりゃあ、木とか石の枕と、最新素材の枕を比べれば「最新素材の勝ち」という結果は出るでしょう。でも、新製品の枕同士なら、大抵は拮抗します。多くの人は、「寝具メーカーが研究を重ねて開発した新製品を比べる」という実験内容を聞いた段階で、「いずれの製品も、家の枕よりは眠れるだろう」と心理的バイアスに囚われてしまうからです。
A社製もB社製も同じように高得点が出てしまう、と。
三島:そう言うと、テレビ局のスタッフは「ならば、採点項目を寝心地とか寝つきの良さとか100項目ぐらい作ればどうか」と提案されてきた。大量に項目を作れば、何個かは偶然でも「統計的に有為」と言える差が出る項目が出るかもしれない。それを唯一のエビデンスに勝敗を決めたらどうか、というわけです。
さすがテレビマン。強引(笑)。
三島:私は医学研究者だから、そんなことは納得できない。確かに評価項目数を増やしていけば統計的有意差が出る項目は必ず出てきます。そのため臨床試験では最終的な比較項目は「試験前」に決めるのが原則で、後付けで選択してはならないんです。それを許してしまえばどのような試験でも有意差を「作れて」しまいます。「非科学的です」「品格が疑われます」などと言っていたら、連絡が来なくなりました(笑)。
白黒付かないと困る一部のテレビマン
さすがテレビ。真実がどうあれ、台本通りにならないなら企画そのものが中止、と(笑)。例えば、主観だけではなく、睡眠中の脳波などを調べて、ベストな枕を選ぶことは出来ませんか。
三島:睡眠中の脳波などを調べて、快眠が得られる寝具を探そうとする前向きな試験を行っている企業もあります。このような姿勢は評価できますが、これはこれで難しい。深い睡眠が増えるなど睡眠脳波で改善がみられても、必ずしも主観的な快眠が得られないこともあるんです。これでは商品として魅力がありません。他社を圧倒するような万人に効果のあるグッズを作るのは至難の業です。
誤解なきように言いますと、生理学から見て「睡眠に最適な環境」というものは存在します。室温とか湿度とかですね。寝る時の首の角度も、寝やすい角度とそうでない角度があります。でもそれも人それぞれなんです。最適な枕の高さだって人それぞれ違うし、低反発素材のマットレスだって「腰に負担がかからない」などと言われていますが、一方で寝返りが打ちにくく、例えば、睡眠無呼吸症候群の人が使うのはお勧めできません。結局、「どんな睡眠グッズがいいですか」という質問には、自分が「いい」と思う枕をそれぞれ使うのがいいですよ、という結論になる。
でも、それって“テレビ的”には…。
三島:“しょぼい”結論になってしまいますよね。でも本当にそれが事実なんだからしょうがない。だから、私は講演なんかでもあまり評判がよくないんですよ。
聴衆は「良質な睡眠を取るにはどんな寝具を買えばいいか」を聴きに来てるのに…
三島:「科学的に証明された快眠寝具はないんですよ」って言っちゃうわけですからね。最近は、機能性表示食品制度も絡みもあって、「○○成分があるからストレス軽減に効く」とか「○○入りで睡眠の質が高まる」と謳っていいかなどという問い合わせが多くて困ります。大抵が“過大広告”ですから。
先生、そこまで言っちゃって大丈夫ですか(笑)
三島:例えば、睡眠や生体リズムを整えるメラトニンというホルモンがあります。実は、メラトニンはお米にも含まれていることを聞きつけた業者さんから、「良質な睡眠が取れる米」という打ち出し方をしていいか、という相談があったんです。
いいアイデアじゃないですか。睡眠ブームの今なら、「眠れる米」はヒット商品になるかも知れません。
「眠れる米」は理論的には有り得ても…
三島:でも、本当に、米に含まれるメラトニン効果を良質な睡眠につなげようと思ったら、毎食3トン食べないといけない計算になる。
3トン(笑)。
三島:大体、サプリメントなどの栄養補助食品は、もともと栄養不足がある人には即効性がありますが、日本人ではそのようなケースは稀です。普通の栄養状態にある人が追加で服用しても効果があるか不明な点が多いほか、あったとしても長期的に摂取して初めて効果が見込めるものなんですよ。
でも、世の中には、「サプリメントを飲み始めたら体の調子が良くなった」と言う人も現実にいますが。
三島:そういう人はもともと健康への意識が高い人で、サプリメント以外にも日頃から健康的な生活を意識して送っている場合が多いんです。最初に話した心理的バイアス効果も大きい。
「最新のサプリメントだから効果が出るはずだ」と思い込み、それが実際に効いてしまう、と。
三島:人間の思い込みの力はそのくらい、我々が想像する以上に大きいものなんです。それが鮮明になるのが、新薬認可の現場です。製薬会社が沢山の新薬を開発しているにもかかわらず、非常に多くの薬が認可されないまま“お蔵入り”になる理由をご存知ですか?
いえ。
三島:強い副作用などの場合もありますが、プラセボ効果(偽薬効果)の壁を越えられずに失敗に終わることがとても多いんです。
プラセボ効果?
三島:簡単に新薬認可の流れを説明しますと、多数の被験者(患者さん)にご参加いただいて承認前の新薬を試してもらうんですが、被験者の約半数には、新薬と形がそっくりだが全く有効成分を含まない「偽薬」を飲んでもらうんです。すると、どうなると思います?
そりゃあ、新薬候補を飲んだ人の一定数は効果が出るだろうし、偽薬を飲んだ人は何の変化も起きないはずです。有効成分が入っていないんだから。
三島:現実には、「実薬」を飲んだ人だけではなく、偽薬を飲んだ人にも相当な効果が出てしまうんです。偽薬でも「薬を飲んだ」という期待感が精神に作用し自然治癒力を引き出すのではないか、と解釈されています。プラセボ効果はすべての薬剤で認められますが、抗鬱薬、睡眠薬、痛み止め、酔い止めなど、精神神経系に作用する薬ではとりわけプラセボ効果が出やすい。例えば、実薬の効果が出た人が70%、偽薬が60%とかいうケースも珍しくありません。
本物と偽物でそこまで差が出ないんですか!
日本の社会保障問題を解決する秘策
三島:いずれにせよ統計的に有為な差が出なければ新薬として認可はされません。ここをクリアできない新薬候補物質が相当数あるんです。
人間の精神の力というものは凄いものがあるんですね。今の話を聞いて思いついたんですが、偽薬でもそこまで効果が出るなら、日本全体で一定分野の薬は全部、ある段階からしれっと偽薬にすればいいじゃないですか。そうすれば、膨張の一途を辿る日本の医療費も相当抑制されると思いますが。
三島:そのためには国民全部に嘘をつく事が必要になります(笑)。「偽薬だ」と知ってしまったとたんにプラセボ効果は消えてしまいますから、現実的には難しいでしょうね。でも僕個人も、一定の分野の治療に関しては、薬よりも心理療法や生活習慣指導の方が有効なんじゃないかとも思っているのは事実です。薬の副作用が出やすい高齢者や子供などは特にそうです。
先生、そんなこと言っていると、テレビどころか海外の巨大製薬会社などからも…
三島:テレビの話に戻りますが、冒頭の睡眠グッズのみならず、健康や薬サプリメントに関する番組への出演、アドバイスを求められることが時折あります。「○○野菜を取れば癌にならない」とかそういう番組、沢山あるでしょう。でも僕はこういうスタンスだから、サプリメントや健康食品に対し否定的な見解をすることが少なくない。そうすると、打ち合わせがかなり進んでいるのに、「先生、この話はなかったことにしてください」と突然言われたりする。確認してみると大抵、番組スポンサーにグレーゾーンの健康食品が名を連ねていることが多いです。
うわあ…。そんな話を聞くと、情報番組の見方が変わっちゃいますよね。興味深いお話ばかりで、すっかり本題に入るのが遅れました。今日のテーマは「ロングスリーパー」です。
三島:はい。
昨今の睡眠ブームでは様々な事が言われていますが、睡眠時間については「ロングよりは、ショートの方がいい」という論調が圧倒的に優勢だと思うんです。実際、短時間睡眠を推奨する書籍は多いが、長時間睡眠を薦める本はめったに見かけない。有名起業家の自己啓発本なんかを見ても「睡眠時間は3時間で十分。長く寝る奴は自ら時間を無駄にしている駄目人間。負け組確定だ!」といった趣旨のフレーズが普通に出てきます。
「ロングスリーパー=駄目人間」かどうか、ついに判明
三島:なるほど。
一方、長時間睡眠は早死にするという記事も頻繁に見かけます。でも、会社の健康診断では『毎日の睡眠は6時間』とか見栄で書いているが、実はロングスリーパーっていう人も少なからずいると思うんです。個人的には、むしろショートスリーパーの方が、細胞が十分再生されず、不健康・短寿命になる気がするのですが、現実はどうなのでしょう。
三島:結論から言えば、極端なショートスリーパーの多くは健康ではありません。
やっぱり!
三島:でも、極端なロングスリーパーの多くも健康ではありません。
やっぱり…。
三島:ただし、ショートスリーパーやロングスリーパーの中にも健康な方はいます。
どういうこうとでしょう。
三島:つまりこういうことなんです。睡眠グッズと同様に睡眠時間にも人それぞれ最適な時間というものがあります。例えば、睡眠を自動車製造の工程に例えて説明してみましょう。自動車工場では、鋼板を加工し、溶接し、塗装し、内装品を取り付けて、と手順を踏んで車の形にしていきますよね。人間の睡眠もこれと同じで、寝るとまず細胞を修復する工程があって、次に記憶を定着する工程があって、次に免疫細胞が抗体を作る工程があって…と、段々と体や脳を再生していく仕組みになっています。
重要なのは、自動車が車種ごとにリードタイムが異なるように、睡眠も個人によって全ての工程を完成させる時間が異なることです。平均的には7~8時間と言われてはいますが、当然、個人差があって、3時間で全工程が完了する人もいます。こういう人は3時間睡眠でも全く問題がない。
なるほど。
三島:でも、本来は7時間が最適な睡眠時間な人が3時間しか寝なければ、自動車工場で言えば毎日、未完成の不良品を生産しているようなもので、当然、不健康になっていきます。
「意識高い系ショートスリーパー=不健康」の恐れも
睡眠時間が長い短いよりも、今の睡眠時間が、自分が本来必要としている時間にあっているかどうかか重要と言うわけですか。
三島:そうです。先天的なショートスリーパー体質であれば、短時間睡眠でも全く問題がないが、本当は7時間必要な人が3時間睡眠を続けていると体調は悪くなります。
だとすると、こういう結論が言えませんか。長時間睡眠自体が悪いわけではない。本来7時間睡眠で十分な人が怠けて十何時間も寝ていれば、そりゃあ体もおかしくなる。でも、生粋のロングスリーパーが長時間睡眠するのは全然問題ない。寿命も短くならない、と。
三島:ロングスリーパーに関してはまだまだ未解明な部分が多く何とも言えませんが、理屈の上では、そういうことが言えるかもしれませんね。10時間以上寝ていたというアイシュタインなんかそうだったのではないでしょうか。
アイシュタインですか。それは心強い。少なくとも、「ロングスリーパー=駄目人間」とは限らない、ということは言えそうですね!”
2015-07-30 10:06