クリシュナムルティ 思考は、自身を超えることができません。

思考は記憶です。
記憶は収集蓄積された反応ですから
思考がどんなに自身を自由だと想像しても
それはいつでも条件づけられています。
思考は機械的で、
それ自身の知識の中心に繋がれています。
思考の活動範囲は知識に依存します。
知識は、いつも過去の残滓であり、
過ぎ去った活動の残滓です。
思考は、自身を未来に投影できますが、
過去に繋げられています。
思考はそれ自身の牢獄を作り
その牢獄が未来的であろうと、
過去のものであろうと
飾り立てられたものであろうと、
質素なものであろうと
その中に住みます。
思考は決して静まりません。
それは、本性上、
休むことなく、
いつも右往左往しています。
思考装置は、騒々しくても、穏やかでも、
表面上でも、表面下でも、
絶えず活動しています。
それは、自身をすり減らすことができません。
思考は、それ自身を洗練させることができます。
それは、その彷徨をコントロールすることができます。
それは、それ自身の方向を取捨選択したり
環境に順応したりできます。
思考は、自身を超えることができません。
それは、
狭い領域や広い領域で機能するかもしれませんが
いつも記憶の範囲内でしょう。
記憶には限りがあります。
記憶は、心理的、内面的に
死ななければなりませんが
外面的にだけは機能しなければなりません。
内面的には死がなければなりませんが
外面的には、あらゆる挑戦と
反応に鋭敏でなくてはなりません。
思考の内面的な関与が行動を妨げます。
クリシュナムルティ