インナーチャイルド

採録

この正月、わが家の娘は、満3歳の誕生日を迎えました。生後の華奢な体つきからは想像もできないほど、一人前の立派な体格になり、精神的にも大きな成長を遂げました。

 

 この3年間を振り返ってみると、子供の世話、家事や仕事に明け暮れた日々。楽しかった思い出もたくさんありますが、「いやはや、大変だったなあ」という思いの方が、圧倒的に大きいように思います。

 

 その中でも一番大変だったことは、自分の感情をコントロールできず、常に自分自身と「ガチンコ勝負」をしてきたことでした。

 

 例えば、娘が泣いているとき、夫や両親のように、「泣き顔もかわいいのう」と笑ってあやすことができればいいのですが、私は、1日中娘と2人きりでいるため、「もう、泣かないでよ!」と、怒りが湧いてくることがありました。

 

 まだ物言えぬ子供が泣くのは、当たり前です。そのことを頭では分かっていても、実際に目の前でわが子が泣き叫ぶと、「キレて」しまう自分をコントロールできず、本当に悩みました。

 

 そんな悩みの突破口となったのは、私の母を交えて、親子3代で外食をしていたときの出来事でした。娘は、ちょうど眠たい時間帯だったのか、食事の途中からぐずり始めました。そのとき、私は、「眠たいから、仕方ないよね」と思い、ぐずる娘を前にしても冷静だったのですが、その代わりに、私の母がかんしゃくを起こしたのです。

 

 「もう、泣くのはいい加減にしなさい! 周りに迷惑がかかるでしょ!」

 

 いつもは優しい“バアバ”が豹変したので、娘は驚いて、ますます泣き叫びました。

 

 この瞬間、私は、ピンと来ました。もしかして、私も、小さい頃、母親からこんなふうに叱られてきたんじゃないか。私は、母親から受けてきた態度を、そのまま、娘にぶつけていたのではないか。そして、私が母から受け継いだように、母も自分の母から、同じように扱われていたのではないか、と。

 

 そう考えると、いたずらに自分や母を責めるのは、あまりにも酷だと思いました。誰が悪いわけでもなく、ただ、自分の血を受け継いだ娘が目の前で泣くことで、母や私の心の中に刻まれた子供時代の傷がうずき、剥き出しにされただけなのじゃないか。「悲しかったよ、苦しかったよ、寂しかったよ」と。

 

 この体験をきっかけに、私は、幼少期のつらかった体験を思い出しては、両親や祖父母に対して持っていた「わだかまり」を、少しずつ解消していくことにしました。

 

 いつも仕事から帰ってくるのが遅かった両親に対しては、「なんで早く帰って来てくれないの」という非難の思いから、「いつも遅くまで私たちのために働いてくれて、ありがとう」という感謝へ。嫁である母の悪口を始終言っていた祖父母に対しては、「母を責めないで」という怒りから、「悪口を言うほど、毎日が大変で、疲れていたんだね」という受容へ。

 

 こうして、私の中の「子供時代のトラウマ」(インナーチャイルドと言うのでしょうか)が解き放たれていくことで、少しずつ、娘がどのような行動を取ろうとも、心の平安を保つことができるようになってきました。

 

 「三つ子の魂百まで」とは、よく言いますが、幼児期に刷り込まれた体験というものは、大人になってからも、想像以上に、潜在的に影響するものではないかと思います。もしかすると、それは、先祖代々、伝わっているものなのかもしれません。良いこともたくさんあるのでしょうが、もしそれが「負」の遺産であれば、私の世代で断ち切っていこうじゃないかと、娘の寝顔を見ながら、心を新たにしている今日この頃です。